被造物対創造者

4

 世 対 地(第一部)

 

 

『なんじら世をも世にある物をも愛すな。人もし世を愛せば、御父を愛するの愛その内になし。(第一ヨハネの手紙第215節)

全能の神は、ここで私たちに非常に平易で、明確な命令を与えておられます。『なんじら世をも世にある物をも愛すな。』私たちの創造者はまた、私たちに、この命令に従わなければ、悲劇的な結果があると話しておられます。『人もし世を愛せば、御父を愛するの愛その内になし。』それゆえに、私たちはそれぞれ、この命令に完全に従う努力をすべきです。神は、私たちが世を愛することによって、父なる神の愛が私たちの中にないことを、禁じておられます。

『姦夫たち、姦婦たちよ、世の友となるは、神に敵するなるをしらぬか、誰にても世の友とならんと欲する者は、己を神の敵とするなり。』(ヤコブの手紙第4章4節) 神は、世の友となることが、霊的に、姦通の関係であるので、彼らを『姦夫たち、姦婦たち』と呼ばれたのです。それは恐ろしく罪に穢れた関係です。神は、私たちが世の友になることによって、神と敵対して、神の敵になることを、禁じておられるのです。

『父なる神の前に潔くして穢れなき宗教は、孤児と寡婦(やもめ)とをその患難の時に見舞ひ、また自ら守りて世に汚されぬ是なり。(ヤコブの手紙第1章27節) おそらくあなたは説教者たちが、宗教は人を天国に行かせてくれない、と宣言するのを聞いたことがあると思います。それは確かに真実です。なぜなら、『潔くして穢れなき宗教』のこの聖書の定義は、この前の節で言及された宗教の働きでもあると同様に、信者による行いと行動であるからです。「宗教」の定義の中で何一つ、神が、悔い改めた信者にただで授けてくださる神の救いと永遠のいのちに言及している個所がありません。あなたが『宗教』について話す時はいつもその事を記憶してください。ヤコブの手紙第1章27節にある宗教のこの聖書の定義は非常に短いので、おそらく、私たち聖書を信じる者には不完全なようです。しかし、あの純粋で汚れのない宗教の一部分は、自分を『世に汚されぬ』ように守ることであると気づいてください。それで、もしあなたが、御前に純粋で汚れのない宗教を生きることによって、ご自分の創造者を喜ばしたいと強く望むならば、そのときには、神が私たちに愛してはならないと命じ、また、友となってはならないと禁じてもおられる『世に汚されぬ』ようにあなたが自分を守ることは必要です。

この本のはじめの3章において、私は、『上昇』が、私たちの創造者に反逆するときにする最初のことであることを、どのように私が信じているかを、非常に詳しく説明しました。それは、私たちの創造者を愛さないで、『自己』を愛する行為です。それは、私たちの心と人生の中におられる創造者を引き降ろして、『自己』を私たち自身の神として立てる行為です。それは、十戒の第一番目に背く罪に穢れた行為です。私たちの二番目の非常に反逆的な行為は、世と世にあるものを愛することと、また、世の友となること、世によって染みがつけられた者になることの行為である、と私は信じています。私たちの創造者を愛する代わりに世を愛することによって、私たちは御父の愛に欠けた者になります。世の友になることによって、私たちは神の敵になります。世によって染みをつけられた者になることによって、私たちは、純粋で汚れのないクリスチャンの証を失ってしまいます。それは非常に悲劇的な状況です。また、私は、それが、『上昇』して『自己』の被造物を愛し、拝むことに次ぐ、人類を悩ましている二番目の大きな罪の問題であると信じています。

 

 『天のお父さま、私が世を愛することと、また、世の友になることとは、何と恐ろしい罪であるかを、十分に実感しますように、どうぞ私を助けてください。世とは、まさしく何であるかを、どうぞ私に教えてください。私がどれ程世を愛しているか、また、どれ程世の友になっているのかを、どうぞ、私に明らかにしてください。私は、私の中に御父の愛を持ちたいこと、そして、神の敵になりたくないことを、あなたに宣言します。それで、私は、世と世の事柄を愛さないように、また世の友にならないように、どうぞ、私を救ってくださるように、あなたにお願いいたします。私は、あなたが他の人々もすべて救ってくださいますように祈ります。 愛する主よ、世から染みをつけられないように私を守ってくださいますように、どうぞ私を助けてください。世によって染みをつけられるとは、まさしく何の意味かを、どうぞ私に教えてください。クリスチャンの生活の中で、まさしくどのようにそれが起こるのかを、どうぞ私に示してください。また、世から染みをつけられないように私を守るために、私がしなければならないことを、どうぞ私に示してください。私はまた、世から染みをつけられないように強く願うように、また、あなたの助けによって、そうなるように努力するようにと、他のクリスチャンたちすべてのためにも祈ります。アーメン。』

 

私たちが世を愛さず、また、世の友にもならず、世によって染みも付けられないために、何を愛することを禁じられているのか、また、何の友になることを禁じられているかであり、何によって染みをつけられるべきではないことを、私たちは、まず、正確に知らなければなりません。クリスチャン生活は長年にわたりますが(宣教師になってからの方が長いのですが)、私は、第一ヨハネの手紙第2章15節とヤコブの手紙第127節と第44にある「世」の正確な意味を知りませんでした。もしその時、私がその意味を尋ねられたならば、たぶん、当惑して顔を赤らめ、ある漠然した、ほとんど意味のない答えを早口で話していたのではないかと思います。「それは、ソドムとゴモラ、罪に穢れた楽しみや、金持ちが持つ豪華な品、悪いどのような物でもというような邪悪で罪に穢れたことを引き合いに出しているに違いありません。」と。 「世」の意味のうち不十分な答えに含まれているものもいくつかありますが、正確で、完全な答えからは程遠いものです。 神が、私たちに、友となってはならない、染みを付けられてはならない、愛してはならない、と命じておられる「世」について、あなたはいま、まさに、どれ程多く(または、どれ程少なく)の理解をしているかを、どうぞ、立ち止まって、考えてください。

 

 

世の創め

数年前、ジェームズ・ノックス牧師が黙示録第138節について話したテープに録音された説教を私は聴いていました。凡て地に住む者にて其の名を、屠られ給ひし羔羊の生命の書に、世の創めより記されざる者は、是を拝せん。その語句、世の創めより屠られ給ひしは、私にはなぞみたいでなんだか分かりませんでした。黙示録第138節の『世』の意味を私は知りませんでした。そして、それがどのような意味であっても、キリストが十字架の上で殺害された時になされたであろう世の創設のようではありませんでした。

ノックス兄弟は、最初にエバとアダムが罪を犯した時に世の創めが起こったと、説明することによって、私に、理解の戸口を開けてくれました。あの時、御子息なる神であり、私の貴い主、救い主キリスト・イエスは、私のあらゆる罪のために犠牲と、それらの罪から贖いとを、提供するために殺害されました。約4,000年後に、肉体の、人間の身体をまとっておられた御子息なる神は、神を憎む人々によって、十字架の上で殺害されました。しかし、自分たちの創造者に対して最初の違反を犯したエバとアダムの世の創めより屠られ給ひし彼はまた、明確で、実在の事件でもあったのです。私はその詳細を十分理解できないけれども、私は、私たちの救い主が世の創めより屠られ給ひしと聖書が話す時に、寓意で話しているとは思いません。

『なんじらが先祖等より伝わりたる虚しき行状より贖われしは、銀や金のごとき朽つる物に由るあらず、瑕なく汚點なき羔羊の如きキリストの尊き血に由ることを知ればなり。彼は世の創の前より預め知られたまひしが、この末の世に現れ給へり。(第一ペテロの手紙第118~20節)神が御自身にかたどって人間を創造される以前に、御息子なる神は、必要ならば、彼らのための犠牲として殺害されることに同意しました(自発的に申し出ました)。それゆえに、世の土台が置かれるずっと以前に、御父なる神と、御子息なる神は人類のために、この素晴らしい贖いを予定されました。明白に、創造者に反逆したケルビムと天使たちのような天の被造物ためには、そのような救いと贖いの計画は決してなかったのです。しかし、神は、被造物である私たち人間に非常に恵み豊かであられたので、御子息なる神が私たちのために殺害されることを予定してくださいました。そして、存在する最も大きな愛によって、主イエス・キリストは、『わたしは彼らのために死にます。彼らに贖罪を提供するために、わたしのいのちを与えます。ですから、もし彼らがあなたに反逆するならば、彼らを地獄に追放しないでください。わたしは、彼らのそれぞれすべてに救われる機会を与えたい。』と、父に喜んで話しました。もし、御子息なる神が、世の土台が置かれる前に(アダムとエバの違反の時以前)、私たちのために殺害されるために、喜んでご自身を捧げなかったならば、御父なる神は、ちょうどルシファーと彼に追従者がご自身に反逆した途端に、天の地位から追放されたように、アダムとエバが罪を犯すとすぐに地獄に直ちに追いやるほか選択はなかったでしょう。神が直ちに、罪びとを一人も裁かないで、代わりに、その罪びとに恵みと哀れみを示すために、その罪のための犠牲が必要なのです。

そして、存在する最も大きな愛によって、御子息なる神は、『私がその犠牲になります。』と宣言して、御自身を捧げました。このように御子息なる神が何かを宣言なさる時、神は決してご自身のことばを破られません。それは直ちに現実となります。神がお話なさることは現実だからです。神のことばは、ちょうど行為と同じ程良く、また、現実なものです、その行為はずっと後で起こることになりますが。第一ペテロの手紙第1章は、この贖罪の計画は、世の土台が置かれる以前に予定されていた、と私たちに語っています。では、黙示録第138節では、殺害されたキリストの時は、アダムとエバが初めて罪を犯した時を指しますね。多分、それは起こったのは、エバが果物に触れる以前であったということになります。 彼女が、果実を食べる決定をした時には、その決定だけでも罪でした。 そして、たぶん、ちょうどその瞬間に、天の万軍はすべて、その時、天で殺害される神の子羊に立ち会っています。私は、その場面にすべてが伴われたものを正確には知りませんが、たぶん、天の万軍の全てに多くの悲しみをもたらした、畏敬の念を起こさせる光景だったに相違ありません。もし深く霊のことを瞑想したいと思われるならば、その時には、どうぞそのことを考えてください。

 

『今われらは鏡のごとく見るところおぼろげなり。然れど、かの時には顔を對せて相見ん。』(第一コリント人への手紙第13章12節)私のクリスチャンの友人である皆さん、この罪に穢れた地上の生涯が終わると、私たちは、私たちの創造主を顔と顔とを合わせて見るのです。その時、主は、人間という生き物がご自身について知るようにと、定められたすべてを、私たちは完全に知るのです。主が私たちのために用意された贖いについてのすべてを知り、また、神の子羊が『世の土台の置かれる前から殺害』された時に、何が起こったのかを正確に、完全に知るようになるとは、何という啓示でしょうか。その時まで、私たちが主を顔と顔とを合わせて見る祝福された時を最大の期待を持って待ちながら、心を尽くして主を愛して、力を尽くして主に仕えるように、どうか主が私たちを助けてくださいますように

 

『主イエスさま、アダムとエバが罪を犯すずっと前から、私の罪のためにいけにえとしてあなた自身を捧げてくださったゆえに、私はどんなにかあなたを愛しているでしょう。それ程に私を愛してくださいましたことのゆえに、あなたに感謝いたします。そのように多くの世話をしてくださいましたゆえに、あなたは私には非常に尊い主です。代わりにあなたを愛して、私の命をあなたのために生きるように私を助けてください。私たちがやがて、顔と顔を合わせてあなたを見、また、あなたとあなたの大いなるご栄光を完全に知るという素晴らしい望みと期待のゆえに、主よ、あなたに感謝します。その時が来るまで、私が心を尽くしてあなたを愛し、また、力を尽くして、あなたに仕えることができますように、どうぞ私の信仰を強くしてください。他の全てのクリスチャンたちも同様に行ないますように祈ります。 アーメン。』

 

『世のすべての王国』

神の子羊は、この世の土台が置かれた時、殺害されました。私は、エバがまず罪を犯した時、それが起こったと信じます。私は、第一ヨハネの手紙第215節で、神が、私たちに、愛してはならないと命じられた『世』は、黙示録第13章8節で語られた同じ『世』であると信じます。それはある組織を暗に指しています。そして、この『世』という、その組織は、悪魔の王国です。神は、私たちに、世を愛してはならない、または、世の友となってはならないと、はっきりと命じておられます。それゆえに、聖書の中で使われている『世』という語を様々な方法で区別することに、私たちは慎重でなければなりません。

『それ神はその生み給えるただ獨りの御子息を賜ふほどに世を愛し給へり。そはすべて彼を信ずる者の亡びずして永遠の生命を得ん為なり。』((ヨハネによる福音書第3章16節)神は、私たちに、愛してはならないと、命じておられるものを愛さないと常識は私たちに語ります。ヨハネによる福音書第3章16節のここ、この「世」は、この地球に住む人々を示しています。この惑星上の堕落した人類は、神がご自身の生みたまえる御子息をお与えになられたこの世です。 アダムとエバの全ての子孫は、神から疎外されたこの生命に生まれ、失われた魂、悪魔の子どもたち、この『世』である悪魔の王国の住民です。それゆえ、これらの失われた魂もまた、聖書の中でこの『世』として示されているのです。神は悪魔の王国のそれぞれ、あらゆる失われた人間の魂を愛して、彼らが救われることを強く望んでおられるのです。それで、私たちはこれらの関連するけれども、この『世』の異なった意味を認識することに抜けめなく用心深くなければなりません。

  『そは我らは、この世の暗黒を掌るものと戦ふなり。』(エペソ人への手紙第6章12節)サタンの王国は霊の暗闇の王国です。『御父に感謝を捧げるように。而して我らを光にある聖徒の嗣業に與るに足る者とし給ひし父に感謝せん事なり。父は我らを暗黒の権威より救ひ出して、その愛しみ給ふ御子息の国に遷たまへり。(コロサイ人への手紙第1章12、13節)人が、主イエスキリストを自分の救い主として信じるならば、その人は、神の力によって、新しい被造物(神の子供)にされます。神は、その人を、悪魔の王国の暗闇から神の驚くべき光の中へ、また、その人を再度生まれさせて、天国の住民にくださる、神の愛する御子息、キリストイエスの栄光に輝く王国へと移し変えてくださるのです。キリストの栄光に輝く、いつまでも終わることのない王国の住民として、私たちは、悪魔の王国を愛すべきでありませんし、その友となることも、それによって染みを付けられることもなってはなりません。その代わりに、私達はそれから出るべきです。それから離れるべきです。それに対して立つべきで、霊の闘いにおいて、それに対して戦うべきです。

『彼は世にあり、世は彼に由りて成りたるに、世は彼を知らざりき。』(ヨハネによる福音書第1章10節)これはキリストについて話しています。彼によって造られた「世」は、この惑星、そこにキリストが創造された(全ての植物と動物を含む)自然と人類です。キリストは、ご自身が私たちに愛さないように命じるために『世』をお造りになられませんでした。(ヨハネによる福音書第110節のここでは)彼を知らなかった『世』は、自分たちの創造者なる神が誰かを知らない、この惑星の失われた人々のことです。聖書における『世』という語の、三つの主な用い方は、この地球を、そこに住む、失われた人類を、また、全地球に渡って存在する悪魔の王国を指しています。 私の注意をまだ引かなかった聖書の中に『世』の他の用法がたぶん、あると思います。そういうわけで、あなたが聖書を読んでいて、聖書に『世』を見る度に、よく祈って、その聖書の句の中で、それは何を指しているかを、正確にあなたに教えてくださるように神に頼んでください。私たちは、神が私たちに愛してはならない、また、友となってはならないと、命じておられる『世』の意味を十分に知らなければなりません。

 

『天のお父さま、あなたの聖書を学ぶ時、どうか、私にあなたの知恵を与えてください。聖書が『世』について教える全てのことを学ぶ時、どうか私にはっきりと見分ける力を与えてください。聖書でこの語を見つける度に、どうか、その聖書の句の中で、『世』が何を指しているかを、どうか私に教えてください。聖書の中の『世』の多くの使用法のどれに関しても、誤った意見を持たないように、どうか、私を救ってください。私はこのことを全て他の人たちのためにも祈ります。私たちに全てを教えてください,主よ、私は祈ります。アーメン。』

 

一度ルシファーが神に反逆すると、たぶん、彼は、その時、可能なあらゆる点で反対し出したでしょう。このことは彼自身の王国を獲得することを含みます。彼の完全な状態において、ルシファーは天国に自分自身の王位を持っていました。 彼は、『我くらうゐを神の星のうへにあげ・・・。』(イザヤ書第1413節)と宣言しました。黙示録第1117節はキリストについてこのように語っています。『なんじの大なる能力を執りて王と成り給ひし』私はその節から、神は、限定された期間、ルシファーに権力を与えることを廃止されたと、結論します。サタンは、エペソ人への手紙第22節で、『空中の権を執る宰』として、はっきりと言及されています。神は、かつて、サタンにこの地球上と、そのまわりの大気に多くの風圧を与えたことがあります。

 しかし、明らかに、サタンは、自分のために王国を建てる能力を持ちません。 何か 分割された諸々の霊と酷似しているように、明らかに、堕落した天使らは、物質的な物を築くことができません。 それゆえに、自分の王国を持つためには、悪魔は、自分のために、それを建てるための従僕らを見つけなければならないのです 悪魔が人類を誘惑して罪を犯させ、人類の完全な状態から堕落させた時、その時に、悪魔は、自分の王国を築くための彼の従僕ら(堕落者)を獲得したのです。このように 、イブとアダムが最初に罪を犯したので、それによって、悪魔のために悪魔の王国を建てるための自発的なボランティア労働者として悪魔に利用可能になった時に、世〈悪魔の王国〉の土台が置かれたのです。これは、あなたの創造者に反逆するためではなく、喜ばすために、完全な知識と理解を持つことは、あなたにとって非常に重要である、より大きな始めです。

ヨハネ1231節、また、1430節、1611節では、あなたは、『この世の王子』について読むことができます。第二コリント44節で、あなたは、『この世の神』について読むことができます。それらの箇所のどこにも、この世の王子もこの世の神も、名前が付けられていません。しかし、神の知恵は、どのような聖書信者にも、それはルシファーで、悪魔、サタンであると、教えてくださいます。マタイ4章8;9節で、悪魔は、もしキリストがひれ伏して、彼を拝みさえすれば、この世の全ての王国をキリストに与える、と申し出ました。聖書をよく注意して調べるならば、悪魔がこの世の王子で、また神である事、また、神が、私たちに愛してはならない、友になってはならない、染みを付けられてはならない、この『世』こそ、悪魔の王国である事が、あなたに非常に明らかになります。

 

『天のお父さま、蛇が首尾よくエバを誘惑して罪を犯させ、悪魔は、それによって、自分の王国を築くため、堕落した人類に、進んで助ける人たちを獲得した時に起こった、より重要な始めについての完全な理解をわたしに与えてください。悪魔の王国を築くために、古今を通じて、どれ程自発的な人間であったかを、どうぞ、わたしに示してください。そして、悪魔の王国を築く時に、悪魔を助けることを望まないように、私を助けてください。私はこのことを全て他の人たちのためにも祈ります。アーメン』

 

この悪魔の王国が何であるかをまさに正確に説明しようと試みる時に、私はそれが何でないかから始めたいと思います。第一ヨハネの手紙第215節の『世』は、私自身、『』の制度と呼ぶ制度の反対、対照であると、私信じています。それは、創世記第215節と第323節で人類が働いて暮らすために、私たちの創造主によって定められた制度です。エホバ神其人を挈て彼をエデンの園に置き之を理め之を守らしめ給へり(第215節)これは、神がアダムとエバを創造されて、彼らがまだ完全な状態にあったすぐ後にあった事でした。『エホバ神彼をエデンの園よりいだし其取て造られたるところの土を耕さしめたまへり(第323節)これは、その夫婦が自分たちの創造主に従わなかったことによって、堕落し、罪に穢れた被造物になったすぐ後のことでした。『土地を耕すこと』は、神が定められたこの制度を描写するためのたいへん適切で、聖書の方法です。さらに、それはまた、神が人間の食物と衣服、宿所のために与えられたこの惑星と多くの植物と動物の土と水から直接個人的に取っている人間の大部分のあらゆる面を包含していると、私は信じています。

どのような人でも、神がアダムとエバを『土地を耕させるために』エデンの園から追い出された時、神は人類が自分の人生でやっていくように定められたことを全く行なうことになります。私は、人か、あるいは人の家族が、自分の肉体労働と、動物を創造された神の労働によって土と水から彼の(あるいは彼らの)必要な食物と、衣類、宿所の全てを個人的に取る、と信じます。それゆえに、人の生計は、他人から完全に独立し、健康と、体力、地(と水)の増加のために、自分の創造主、全能の神にだけ依存するのです。このようにして、神はご自身が創造された人類が生きるべきであると定められました。私はそれを『地』の制度と呼びます。

神は、創世記2章と3章の中で、人類のための職業を明らかにお定めになられたのですから、私たちは、『地』の制度を愛すべきで、また、『土を耕す』ように、私たちが、自分たちの生計を得るためにしなさい、と神が定められたことを行いたいと望むべきです。こういうわけで、この惑星で、生活し、働くより、他の全てのことが、神が私たちに愛してはならない、と明らかに命じておられるのが『この世』なのです。職業を定められたこの神を見捨てて、悪魔の王国の行き、自分たちの生計を立てている人たちがほとんどです。その例外は、神に仕える生活を送っている人たちです。旧約聖書のレビ人祭司たちは、イスラエル人の残りによって養われていました。また、神は、私たちに、新約聖書のテモテ第一の手紙第517、18節の中で、御言葉と教理に労苦している長老たちは、それをする事による報酬を受ける価値があると、語っています。神に任命された政府指導者たちは、もう一つの例外と考えられます。しかし、現在、神がこれまで、定められたよりも多くの『政府指導者たち』がいることを覚えていてください。『悪をおこなふ者を罰し、善をおこなふ者を賞せんために』(ペテロ第一の手紙第214節)

 

『人もし世を愛せば、』

多くの人々は『土を耕し』て、土と水から自分たちの食物、衣類、宿所を個人的に取らない、とあなたはよくご存知でしょう。

そうしない人々のほとんどは、代わりに、神が私たちに愛してはならない、と命令されたこの『世』、悪魔の王国を築いている、と私は信じています。人々が土地を耕す代わりに、悪魔の王国を築く主な理由は、彼らがこの『世』を愛しているからであると、私は信じています。どうか、神が私たちの目を開いて、私たちがこの事に関して、どれ程罪に穢れているかをみることができますように。

 

『天のお父さま、私は悪魔が自分の王国を築くのを手伝っていますか?もしそうでしたら、どうぞ私の目を開いて、その事実を完全に気づかせてください。どうぞ、私が悪魔の王国を築いていることの何をしているかを正確に示して、それらのことをしないように私を救ってください。アーメン。』

 

人間という生き物は、神が私たちに愛してはならないと命じておられる悪魔の王国の土台を置いて、築くために何をしなければなりませんか。

第一に、彼は善悪の知識を食べなければなりません。エバとアダムがそれをした時、人類は堕落した罪人になりました、それゆえに、悪魔の王国を築くための資格を受けたのです。それで、自分の創造主に対する人間というもののその最初の反逆の行為が、『この世』である悪魔の王国の最初で最主要な礎石を置いたのです。それがどんなに悪魔を幸福にしたことか。また、アダムとエバがその禁じられた果実を食べてからというもの、罪に穢れた人間は、悪魔のために、偉大で輝かしい王国を築くために最善を尽くそうと、できる限り善悪のすべての知識を絶えず貪欲にむさぼりました。ああ、私たちは、そうすることによって、どんなにか彼を幸福にするに違いないのです。

人間がこの地球上に築くものの多くは、悪魔の王国の一部です。

少しの例外は、質素な住まい、農場建物、質素な教会の建物などのようなものかもしれません。旧約において、イスラエルの統治者は、民が自分たちに持ってきた住民の言い分を聞くために街の門に座っていました。それゆえに、政府は、神が定められたものを越えるので、政府建物のほとんどもまた、悪魔の王国です。『悪をおこなふ者を罰し、善をおこなふ者を賞せんために』(ペテロ第一の手紙第214節)政府は、人々の生活を支配ことに関して神の権威を侵奪するために、それを越えてすばやく上昇するのです。それゆえに、政府の現在の権限のほとんどは、神が私たちに愛さないように命じておられる『この世』、悪魔の王国にあるわけです。

『悪魔またイエスを携へのぼり瞬間に天下のもろもろの國を示して言ふ、この凡ての権威と國々の栄華とを汝に與へん。我これ委ねられたれば、我が欲する者に與ふるなり。この故にもし我が前に拝せば、ことごとく汝の有となるべし。(ルカ4章5〜7節)キリストは、この世にあるすべての王国の権力と栄光はすべて、悪魔に任されていて、悪魔は誰にでもその権力と栄光をすべて、与える能力を持っているという悪魔の主張に論争しませんでした。この事は、この世の王国の全てが悪魔に属していることを非常に明らかにしています。しかし、悪魔はそれらの王国を築くために何一つしていません。彼は、人々がこの『世』愛しているので、それらの王国を築く人々を容易に得たからです。

サタンは、自分のためにそれらの王国を築いた従僕である人間に、この世にあるすべての王国の力と栄光のすべてを実際に与えてきました。そしてその見返りに、彼らは、この『世』(全ての彼の王国)を愛して、この『世』の友になり、それによってひどく染みが付けられて、また、その霊の暗黒の中で目的もなくうろつきまわり、悪魔に目暗(めくら)にされることによって、悪魔を無分別に拝むのです。『この世の神は此等の不信者の心を暗まして』(コリントへの第二の手紙第44節)悪魔の野郎は、彼が、それらの王国の栄光と力という形で、従僕らに投げるくずと引き換えに、彼らのできる最も豪奢な王国を、自分のために非常に喜んで築く多くの従僕から得る全ての崇拝の中で得意になっているのです。

しかし、悪魔は、人類を堕落することによって拝むよりもずっと多く自分を満足するものを非常に欲しがっています。彼は自分の創造者である神によって拝まれたいと非常に強い願望を持っているのです。また、自分の創造者が人間の肉の形でこの地に来られた時、悪魔は、これはまさにご子息なる神に自分を拝ませる絶好の機会が来たと感じました。それ故に、悪魔の奴は、キリストが自分を拝みさえすれば、自分(悪魔)が所有している(人間によって喜んで築かれた)全てを私の救い主に捧げる、と最高の試みをしたのです。『なんじ若し平伏して我を拝せば、此等を皆なんじに與へん』(マタイ4章9節)『もし我が前に拝せば、ことごとく汝の有となるべし。』(ルカ4章7節)『イエス答けるはサタンよ我が後に退けただ主たる汝の神を拝跪し、ただ之にのみ事ふべし。と録されたり』(ルカ4章8節)私の救い主は、悪魔によるこの素晴らしい申し出に全くとり合わないで、むしろ、私たちすべての人間にお与えくださったこの命令に完全に従順であられました。どんなにか私は、私の主イエスさまを愛して、私のために置いてくださったその完全な模範のゆえに主を褒め称えることでしょうか!私は、このことでどんなにか私の主のようになりたいと強く望んでいることでしょうか。私は、あなたが、ちょうどイエスさまのようになり、イエスさまがなさったようにこの誘惑を撃退することをつよく望むようにと祈ります。

 

「主イエスさま、それを正確に行うように、どうぞ私を助けてください。悪魔の王国を築くことから、私を救ってください。悪魔がそれを拝む見返りに申し出る彼の王国の栄光と権力のために悪魔を拝むことから、私を救ってください。主よ、あなたは悪魔のこの誘惑を完全に避けた故に、私はあなたのお名前をほめ称えます。どうぞ、あなたの完全な模範にいつも従って、あなたに栄光を表すように、私を助けてください。私はこのことを全て他の人たちのためにも祈ります。アーメン」

 

悪魔がキリストにその王国と彼らの栄光のすべてを見せた約2000年前のそのとき以来、この世を愛する人々は、サタンのために、より多くの王国を熱心に建て続け、また、人々の可能な限り最大の栄光を加え続けてきました。建設する速度は、善と悪の多くの知識が与える大きい建築能力のために、現在、この終末の時代に気違いじみてばかげた速さになるまで、着実に増してきたのです。そして、悪魔に、まったくその栄光が全部行くのです。もし悪魔が、最初の二人の人間に、善悪の知識から食べて神に背くようにと、最初に誘惑できなかったならば、決して王国を獲得しなかったはずです。人の堕落以来、善悪の知識を私たちが多く食べれば食べる程、それだけ大きく、かつ多くの輝かしい王国を悪魔のために私たちが建てるわけです。私たちは、世のその王国、またその息が止まるほどびっくりさせるような地平線、あらゆるその明るい光、そのすべての栄光を愛するので、悪魔のためにこれを喜んでします。『なんじら世を愛すな。』善悪の知識を食べることが、悪魔の王国に最初の礎石を置くのです。

 

「天のお父さま、もし人が地上に建てる『王国』が、すべて悪魔の王国であることが、本当であれば、どうぞ、そのことを私に確かなものとしてください。もしそれらが、あなたが私たちに愛してはならない『世』であれば、どうぞ、そのことを私に明らかにしてください。もし、私たち人間が、善悪の知識から食べることによって、悪魔の王国に最初の土台置くと言うことが本当であれば、どうぞそれを私にはっきりと教えてください。これらの事について、リチャード兄弟が正しいか誤っているかについて、どうぞ明りょうな識別力を私に与えてください。どうぞ、このことについてあなたの純粋で完成した真実を私に教えてください。すべての他の人たちもまた、これに関するあなたの真実をはっきりした理解に至りますようにと私は祈ります。すべてを私たちに教えてください。愛する主よ、私は祈ります。アーメン。」

 

2.次に、悪魔の王国を築くために、人は自分の『最初の地所』を離れなければなりません。ユダの手紙6節は『自分の最初の地所を守らないで、自分の住まいを離れた天使たち』について語ります。『最初の地所』という語は、聖書の中では、アダムとエバに関連して使われてはいませんが、神は創世記1章と2章の中で彼らの『最初の地所』について良い説明を私たちに与えています。完全な創造の中の完全な被造物。『土地を耕す男がいなかった。』第2章5節)『エホバ神其人を挈て彼をエデンの園に置き之を理め之を守らしめ給へり』(第2章15節)これは、神が、ご自身の似姿に創造なさった人間が、その庭を『守り(保護し)』『耕す』ことをお定めになられた最初の地所でした。それを何から保護しますか?自分たちの創造者に背くように彼らを誘惑して、それから自分の王国を神の地に建てるように彼らを説伏せようとする蛇が侵入する事から保護するのです。

全く失敗しなかった完全な被造物を想像することは困難です。しかし、蛇がエバの所に来て、彼女を誘惑した時、アダムはどこにいましたか?アダムは、蛇の侵入から、あの庭を守っているべきでした。彼は、誘惑者がエバの心に全く接近させないように、すぐ脇にいた自分の助け手を守るべきでした。この事は、私の心を苦しめる非常に重要な問題です。アダムはあの極めて重大な時間に、どこにいたのでしょうか?クリスチャンたちよ、あなた方の、神から与えられた義務を行ない、自分たちの妻と子どもを誘惑者から守りなさい!

また、全ての被造物は誤りに陥り易いものであると、常に覚えておきましょう。 完全なルシファーも完全なエバとアダムも誤りに陥り易いものです。尚更のこと、私たちは皆、罪に堕落しているので、堕落した被造物は誤りに陥り易いものです。あなたが、多くの説教者やクリスチャン指導者たちに、この本を見せても差し支えはありません。そうすると、彼らは、私が『上昇する事』とこの『世』について書いたことについて、たわごとだと言って大笑いします。彼らは、私のいうことを軽蔑して、あなた方が私に耳を貸さないようにと、あなた方を脅します。たとい、クリスチャン信仰の砦がどんなに偉大なものであると、彼らが信じていようとも、彼らの全ても誤りに陥り易いものであると覚えていてください。そのような訳で、私があなた方に書くこれらのことに関する主の純粋な真実をあなたに教えてくださいと、あなたの創造者に頼んでください。

不従順のゆえにアダムとエバが自分たちの完全な『最初の地所』を失った時、神は、彼らが、荊棘(いばら)と薊(あざみ)に囲まれ、額に汗して、土地を耕すことによって、自分たちの生計を立てることを定められました。『土は汝のために詛はる汝は一生のあひだ労苦て其より食を得ん 土は荊棘(いばら)と薊(あざみ)とを汝のために生ずべしまた汝は野の草蔬を食らふべし 汝は面に汗して食物を食ひ終に土に帰らん・・・エホバ神彼をエデンの園よりいだし其取て造られたるところの土を耕さしめたまへり』(創世記第317〜19&23節)それで、そこが、罪に落ちて、堕落した、罪に穢れた人類の『最初の地所』でありました。『土を耕すこと』

人間が、自分の創造された、完全な地所にいた時、自分の創造者は、どのように人間がじぶんの生計を得なければならないかを明らかに定められました。人間が、自分の創造者に背いたことによって、完全な状態から堕落した時、 人間が、彼の創造者に背いて完璧さから倒れた後に、神は、再度、人間がどのように自分の生計を得なければならないかを明らかに定められたのです。どちらの場合も、方法は同じでした。すなわち、土地を守り、土地を整えて、土地を耕す。これが人間という生き物の、その創造者が地所を定められた『最初の地所』です。人間という生き物はすべて、それを愛すべきです。 それを軽蔑することは、私たちが自分たちの生活で行なうようにと、私たちの創造者が定められたものを軽蔑することです。神が、私たちの生活で何かを違うようにするように私たちを明らかに導いておられるのでなければ、私たちはその『最初の地所』にいるように強く望むべきです。

 

『天のお父さま、どうぞ、あなたがご自身の人間というもののためにお定めになられたこの『最初の地所』の重要性を私に教えてください。その『最初の地所』を愛して、それと関わる私のためのあなたの御意志を正直に求めるように私を助けてください。私は他のすべての人々のためにもこのことを祈ります。 アーメン。』

 

しかし、もちろん、その「最初の地所」を去る多くの人々がいます。彼らがそこを去るのはそれを好きではないからです。 彼らは、自分たちの創造者が自分たちの生涯にするようにと、お定めになられたことを憎悪し、軽蔑し、屈辱的な生活をするから、そこを去るのです。彼らは、 自分が悪魔の王国の栄光を愛するから、そこを去るのです。 そして、彼らは、その「最初の地所」を去ってから、どこに行きますか? もちろん、彼らは悪魔の王国、この『世』に行きます。彼らは、町に、都市に、ソドムとゴモラに行きます。そして、なぜ彼らはそこに行くのですか?なぜなら、基本的に、彼らは、世と世にあるものすべてを愛しているからです。そのような愛は、私たちの創造者の『なんじら世をも世にある物をも愛すな。』とのご命令に対する罪に穢れた不従順なのです。

私たちの創造者は、私たち人間というものに、生計を立てて、衣服を身につけ、土地を耕すための唯一の方法をお与えになられました。神の敵である悪魔は、私たちに彼の王国を築くという2度目の選択を与えます。彼には、自分の王国を築くために全力で働く、自発的に助ける者たちが多勢います。彼らは、自分たちがを愛し、自分たちの創造者がお定めになられた『最初の地所』であるを憎み、軽蔑するが故に、それを喜びに溢れてするのです。人間は、自分の『最初の地所』を去ることによって、2番目の礎石を悪魔の王国に置きます。

 

『天のお父さま、もしリチャード兄がここで言うことが本当であれば、どうぞ、そのことのはっきりとした理解を私に分け与えてください。 どうぞ、私が、私が私の人生でしていることによって悪魔の王国を築いているかどうかを私に語ってください。 どうぞ、私の人生で私が行うことに関する、あなたの御意志を求めるように、またあなたの御意志を知るように、私を助けてください。生計を立てるために行うことに決めることで、あなたを全く喜ばすことを強く望むように私を助けてください。アーメン。』

 

3. 次に、悪魔の王国の建築者になり、それによって、悪魔に多くの栄光を讃えるために、人間という生き物は、支配権を持つ物を交換するのです。彼は人間の主人を雇います。また、私たちが認めたい以上に非常に大規模に、自分の創造者が自分の主人であることを廃止するのです。人は、人間の主人のために働くために、町へ行きます。もし彼が、雇用されるのではなく、自分で事業を経営するほうを選ぶならば、その時は、彼の顧客か、あるいは依頼客か、患者などが彼の主人になります。人間という生き物は、自分の最初の地所に留まり、必要な食べ物と、衣服、住まいを生産するために、土地を耕すことによってのみ、自分の創造者を真に自分の主人とする事ができるのです。神が、そのように定められたので、私たちは、それを避けて通ることが来ません。しかし、人々は、自分たちの創造者の、『なんじら世を愛すな。』というご命令に対して、罪深く不従順であるこの世を愛しているので、自分の主人としての創造者を喜んで捨ててまで、自分の人生の支配を、他の堕落した人間に明け渡すのです。人間の主人を雇い、またこうして自分の主人としての創造者を捨てることによって、人は悪魔の王国に三番目の礎石を築きます。

 

『天のお父さま、あなたを、またあなただけを、私の主人として、持つ事の重要性を、どうぞ、私に教えてください。あなたが、私たちにしなさい、と定められたように、私が土地を耕す代わりに、他の人たちのために働く時には、いったい、この人たちが、どの程度まで、私の主人になるのかを、どうぞ、私に示してください。私の主人として、私が他の人たちを持つことからくる損失と損害の範囲を知るように私を助けてください。どうぞ、これらのことを他の人たちのすべてにも教えてください。アーメン。』

 

4.悪魔の輝かしい王国を築くために、人は富の使用人になるのです。土地(地)を創造された神から自分の必要を個人的に生み出す代わりに、今や、人は町に行って、自分の『必要』を買うための富を生み出すために働きます。このように、彼は、悪魔の王国・この『世』の一部である売買の非常に邪悪な制度の中に入るのです。私が、購入と売却をする事が罪であると言わなかった事に注意深く注目してください。しかし、購入と売却は邪悪な制度であり、それは悪魔の王国であるこの『世』の制度に全く置かれている、と私は強く信じています。人が、土地を耕す、私たちの『最初の地所』に留まっている時、購入と売却は必要ではありません。また、彼らが生産する商品、それらの間で、物々交換と取引をする土地の耕作者について何か本来備わっている悪があると私は信じません。

 人は二人の主に事ること能はず蓋これをに悪かれを愛み此を親み彼を疎べければ也なんじら神と財に兼事ること能はず(マタイによる福音書第624節)神は、私たちが自分たちの創造者に仕え、また富にも仕えることはできないことをたいへん明らかにしておられます。(『富』は『お金』のもう一つの言葉です。)ある程度まで、だれでも(キリスト信仰者でも、失われた人でも)富に仕えるようになると、同程度まで、その人は神に仕えることを止めます。人は二人の主に事ること能はず。』それは、ただ単に富に仕えることの問題ではなくて、あらゆる霊の分野に当てはまると私は信じます。私たちが、自分の『最初の地所』去って、他の人たちの所で働くために悪魔の王国に入る時、私たちは彼らを私たちの主にするのでその行為が私たちの主としての神を廃止することになるのです。私たちは、神を救い主として信じている信者であるかも知れません、しかし、神は,あるはずの、またご自分が土地と耕す私たちの最初の地所を定められた時、ご自分を定められた、私たちの人生の絶対の主ではもうないのです。

 『蓋財を慕ふは諸の悪事の根なればなり』(テモテ第一の手紙第6章10節)金を愛すようになるために最良の方法の一つはそれ(富)に仕えることです。土地から私たちの必需を個人的に生産する代わりに、私たちの『必需』を買うことを必要とすることによって、金に依存する事は、私たちの中に金に対する愛着を引き起こします。また、人々が自分たちの、土地を耕す、『最初の地所』を去るほうを選んで、悪魔の王国の富を得ようと追いかけに行くほうを選ぶ一つの主な理由は、彼らがすでに金を愛するようになっていたからで、またそれは大きな罪です。『蓋財を慕ふは諸の悪事の根なればなり』それで、罪に堕落した人は、自分の創造者に仕えることを止めて、代わりに富に仕えることによって、悪魔の王国に四番目の礎石を築くのです。

 

 『天のお父さま、人間という生き物はあなたに仕えることも富に仕えることもできないことを完全に信じるように、どうぞ、私を助けてください。金を愛することがあらゆる邪悪の根であることを、本当に信じますように、私を助けてください。誰でも、富に仕える時、また金を愛する時、何と大きな損失を被るかを、完全に理解しますように、どうぞ、私を助けてください。どのようにそれが、あなたから多くの栄光を強奪して、悪魔に多くの栄光を与えるのか、が見えますように、私の目を開いてください。私は、これらのことを、すべての他の人々のためにも、祈ります。アーメン。』

 

 私はこれらの四つのことが、堕落した人類が、悪魔の王国を建築するために行なう最も基本的なことであることを見抜いています。私は、それらを、『世』が悪魔の王国である『世の土台』の四つの礎石と呼びます。人類は、これらの四つを行なうことによって多くの損失を被っています。私たちの創造者は、これらの四つを行なっている私たちによって、多くの栄光を強奪されています。主の側につくのは誰か?

 

『天のお父さま、どうぞ、リチャー兄がここに書いたことに関するあなたの真理を私に教えてください。私たちがこれらの四つのことを行なうことによって悪魔の王国の土台を築く、ということは本当ですか。もしそうでしたら、どうぞ、いささかの疑いもなく、それについて私に納得させてください。すべての他の人々のためにも私はこのことを祈ります。 アーメン。』

 

5.またそうすることによって、彼らは悪魔を拝んでいるのです。彼らは、悪魔の王国を建てるとすぐに、悪魔の王国がこれらの領域で、捧げなければならない『肉の慾、目の慾、生活の自慢』を満たすために自分たちができることを行なって、その王国内部の悪魔の祭壇で拝みます。もちろんどのような礼拝も犠牲を必要としますので、私たちは、悪魔の王国で悪魔を拝むために喜んで犠牲を捧げると知られています。それで、何を私たちは犠牲にしますか。私たちは、可能な限り悪魔のために最も偉大で、最も栄光に輝く王国を建てるために、生けるいけにえとして自分の生命を費やして、それらを犠牲に捧げます。しかし、私たちはまた、自分たちの個々自身よりずっと大事な物を犠牲にします。私たちは悪魔の祭壇に家族を犠牲にするのです。

 家族が農場をよりどころにして暮らし、家族の全員が一緒に暮らし、その間ずっと一緒に働き、自分たちの必需を生産するために、明けても暮れても、一緒に土地を耕す時、どれだけ良く彼らが健全なまま留まっているか、をあなた方はご存知でしょう。あなたは歴史を見ると、そのような家族が離れ離れになる事は非常に稀であることを知ることができます。農場は、家族を団結させる神の接着剤です。私たちの創造者はそれがそうなるようにそれに定められたのです。あなたはまた、家族が町に、都市に、ソドムとゴモラに行く時に、どれほどひどく破壊されているかを良くご存知でしょう。そこでは、彼らは毎日家を出て、家族員は各々、気も狂わんばかりの速度であちこち走り回って、自分たちの生活を送り、それぞれお互い離れ離れになって、悪魔の世界に出かけているのです。悪魔の王国は、仲違いと、離婚、再婚、未婚の両親、破壊された家庭の諸々のを引き起こす主要な事です。悪魔の王国は、神が定められた家族を破壊するものです。そして、人々が悪魔の王国に住みに行き、崇拝と礼拝をもって家族を悪魔にいけにえとして捧げる主要な理由は、彼らが本当に悪魔の王国を愛しているからです。『なんじら世を愛すな。』

 

 『天のお父さま、もしこの事が真実ならば、それを見るために、どうぞ、私に明らかな霊の洞察力を与えてください。地所を定められた私たちの神とわかれて、悪魔の王国に住みに行くことによって、正確にどのように私たちが悪魔に家族をいけにえとして捧げるのかを、どうぞ私に示してください。すべての他の人々もこれを理解するように、どうぞ助けてください。 アーメン。』

 

それらは、私たちが悪魔と彼の王国のために行なっている私が見る五つの主要な事です。すなわち、第一の四つのものは『世の土台』の四つの礎石を置くに相当し、また五番目の礎石は、彼の祭壇に礼拝の私たちの犠牲を置く行為です。もし私がこのように結論を下すことに間違えていなかったならば、これらが罪に堕落した被造物である人間が行なう五つの最も破壊的、また有害なものです。ですから、最初の第三章に、善悪の知識から食べるこの最初の行為の中に含まれている『上昇すること』について私が言ったことのすべてを心に留めてください。

 

『天のお父さま、私は、自分がこのようなことを読むとは、これまで一度も考えた事がありませんでした。これは確かに、飲み込みづらい錠剤です。ですからどうぞ、あなたのご聖霊さまを今すぐ遣わして、それが真実であるかどうかを私に教えてください。もしそれが真実と虚言の入り混じったものならば、嘘から真実を区別できる洞察の鋭敏な霊を、どうぞ私に与えてください。リチャード兄がここで書いておられることについて、私の創造者から来るすべての完全な理解をどうぞ私に与えてください。 それから、それを私の人生にどのように適用するか、またそれに関するあなたさまの御意志をどのように行なえばよいか、についてどうぞ私を導いてください。すべての他の人々もまた、これらのことに関するあなたの完全な真理を知る努力をしますように、私は祈ります。 アーメン。』

 

悪魔の王国を建てる時に、私たちがするもっと多くの有害なことを、私は目録に載せます。たぶん、彼らはそれぞれ、その最初の五個の物の中のどこかに倒れます。しかし、私は進めて、彼らがあなたの注意を引くことをただ確かめるために、それらを別々に目録に載せます。

 

6.人間という生き物の昇進。これは私たちの『上昇』の一部で、一番目とうまく調和するかもしれません。それによって私の意味することは、他の人たち等によって尊敬され、最良の仕事を得る目的で、人類から最高の尊敬を受けるために、人類の前で私たち自身を昇進させることです。最良の履歴書を書くことはこの良い例です。もう一つの良い例は、『私たちが一番です!』『私たちが最高です!』『私たちが最大です!』と、継続して大声で繰り返して言うこと、また放送すること、広告することです。私たちが、自分の必要を購入するために、他の人間という生き物から不正の富を受ける制度を選ぶ時、そうしたら、私たちは、彼らのお金を受ける価値があるのだ、と彼らを納得させるために自分のベストを尽くさなければなりません。それゆえに、私たち自身と、私たちの家族、私たちの団体、私たちの事業、私たちの会社、私たちの商品か業務、等を昇進させるために、かつてないほど私たちは懸命に働くのです。そのことは、バプテスマのヨハネが『私は減少しなければならない。』と、明言したとき持っていたようなどのような感情をも破壊する傾向が、私たち中にあるからです。

 

7.他の堕落した被造物から私たちの生計の手段を受けること。これは、二番目、また三番目、四番目の分野に入ります。私たちが、そのように神が定められたように土地から直接生計の手段を受けることは恐ろしく重要です。他の罪に穢れた人間からそれを受けることは、多くの罪へ水門を開けます。すなわち、盗むこと、騙すこと、嘘をつくこと、ごまかし、殺人、使い込み、他の人々に不当に圧力をかけること、高圧な売込みなどで他の人々を過度に煩わし、困らせることなど、そしてさらに多くの罪。もし地上の人がそれぞれ自分の農場を経営するならば、これらの罪のうち、なおも思いがけなく生じるものもあるでしょう。しかし、それは、他のどれよりも、これらの罪をもっとまれにするでしょう。人々が『最初の地所』を去る時、他の人から生計の手段を取ることは必要です。自分たちの生計のために、正当な一日の働きをしない人たちは、その特色として、日々懸命に働く人たちによって寄付される福祉で生活するか、または、自分たちの必要と欠乏を得るために罪と犯罪に走ります。あまりにも多くが誰かの喉にナイフと突きつけたり、または、誰かの頭を懇望で殴ったり、または、誰かを撃ったり、強奪したりしすぎます。それが悪い制度だからで、その時に、私たちの創造者が私たちに行なうべしと、定められたように、私たちは土から自分の生計を得る代わりに、その生計のために他の人たちに頼るほうに走るのです。他の人たちから私たちの生計を受けることは、人を恐れることを引き起こし、また、『人を恐れることは罠をもたらす。』(箴言第2925節)それは、神に従う代わりに人に従うように私たちを結び付けます。『人に従うより、神に従うべきです。』(使徒の働き第529節)

 

8. 神が創造された地球をいけにえとして捧げる(破壊する)こと。私たちは、善悪の知識が私たちに作ることが出来るようにする多くの汚染物質でそれを破壊します。また、私たちは、悪魔のために壮大な王国を建てて、あちこち走り回るために高速道路を建設するので、ハードトップと、コンクリート、アスファルで覆うことによって地球の肥えた土を殺してしまうのです。

 

9. 私たちは、他の多くの堕落した人間が私たちの人生の事柄を扱うのにまかせてしまいます。

 

10. 私たちは他の多くの人々の毎日の業務を扱います。私たち罪人が910番で何という不十分な仕事をするかを、あなたは容易に見ることができます。その他の罪人たちが私たちの問題をどのように扱うかに関して私たちがどれほど不快になるかをあなたは良くご存知でしょう。口論、論争、不満、戦い、訴訟、またそれから起因するそのようなものの量もご存知でしょう。私たちは、『最初の地所』に留まり、それによって、自分たちの持つ事業に注意を払いながら、個人の生活の業務をすべて実際的に扱うほうがずっと良いのです。それは何と平和に満ちた世になるでしょう。

 

11. 私たちはあちこち走り回ります。ダニエルは終わりのときについて、次のように言って予言しました、『多くがあちこち走り回るべし。』(ダニエル書第124節)悪魔の王国において、生活の速度がますます速くなる現実、私たちの静けさ、健全さ、また家族を破壊しているのをあなたは良くご存知でしょう。速度は、神が、『もはや時があるべからず。』と宣言されるまで、交通と運送事故などからの増大する量の破壊を起こしながら、着実に増していくのです。しかし、『最初の地所』を定められた自分たちの神に完全に留まるその民にとって、彼らは自分たちの必要を生産するために土地を毎年耕すので、彼らには生活の速度が増大しないのです。

 

12. 人間という生き物は、常に、もっと多くの法律を作って、人間を支配するものです。あなたの国で、全ての法律書がどれ程厚いか、また大体毎日新しい法律書が追加されていることをあなたは良くご存知でしょう。多くは不当で、またその多くは神がこの生涯で私たちのために定められたことに反する、これらすべての人工の規則規制に従うことがどれ程難しいことかも、またご存知でしょう。これらの人工の法律は増大し続け、私たちの自由のより多くを私たちから強奪し続けていくのです。それらはもっと不合理で、神をおそれないものになり続けます。悪魔の王国が、神の定められた最初の地所を優先してそれを選んだ人々すべての上に完全な抑圧を達成すると、その支配は、悪魔が、ごく僅かでも、彼らを支配することを抵抗する者は誰でも虐殺するために反キリストに引き渡されるのです。

 

これまでのことをあなたが容易に参照できるように簡潔なリストにさせてください。

1. 善悪の知識を食べること。

2最初の地所を去ること。

3.支配権を持つ者と取引をして、私たちの創造者を人間の主人に交換すること。

4. 富(の神)に仕えること。

5. 悪魔の祭壇に家族をいけにえにすること。

6. 人間というものを昇進させること。。

7. 他の堕落した人間というものから私たちの生計の手段を受けること。

8. 神が創造された地球をいけにえとして捧げる(破壊する)こと。

9. 他の多くの堕落した人間が私たちの人生の事柄を扱うのにまかせること。

10. 他の多くの人々の毎日の仕事を処理すること。

11. 私たちはあちこち走り回ること。

12.人間の上に人間の支配が着実に増大。

 

これらが、私たち堕落した人間というものが悪魔の王国を建てるために行なう主要な事です。それらは私たちの創造者に対する反逆の行為であり、私たちには非常に破壊的です。それらは、堕落した人間というものに多くの力、私たちの神が私たちに持つようにとは決して定められなかった力を授ける行為です。そして、私たちは、悪魔の王国を建てるためにその力を主に使うのです。12番目は、人々から力を強奪すると言われるかもしれません。しかし、それは、多くの人々の生活を支配する極少数の者たちに多くの力を与えます。私たちが、悪魔の王国を築くこれらのことを行なう理由について私たちが考えることは、恐ろしい重要性を持っています。それから出るあらゆる力と栄光を得るために、私たちはこれら12のことをします。また、私たちが共にするその力と栄光のためにこれらのことをすることを、何と私たちは全く熱烈に喜び、愛するのだろう。しかしそれは暗黒と邪悪の悪魔の王国の一部に過ぎません。

私は悪魔の王国を今攻撃して、私たちの創造者が私たち人間というもののために定められた生き方を高く上げると、それらが良く絡み合わせられるので、私はこれらの12の項目を別個にしておく事ができなくなります。そこで、あなたがこの『世』について私が言うことを読み続けるとき、もしこのリストをコピーするか、またはそれを便利にするためか、覚えておくためにその位置に印を付けるならば、あなたに役立つと思います。これらの12のことを私たちが知ることは恐ろしく重要なことです。それらはそれぞれ本来邪悪で、そのいくつかは純粋に罪に穢れていると信じます。

例えば、私たちの創造者である神に仕える代わりに富の神に仕える方を選ぶことはたぶん全く徹底した罪です。1番から5番までは、本質的に、私が最も良く見分ける事ができる時間順にあります。また、それらは、私たちが行なう最も自己破壊的なことであることを、私は気づいています。従って、それらの5つは最も重要です。 どうぞ、それらを記憶してください。リストの残りは、必ずしも順序通りではなく、そのいくつかは、あの最初の5つほど主要なことでも、重要なことでもありません。私の次の内容からこのリストにもっと多くの『重要な事柄』を追加することができました。しかし、それぞれは『それほど重大』になりませんし、そのリストをより扱いにくいものにしてしまいます。それで、私は、あなたが覚えたり、参考にしたりするためには多くない、ちょうど12で止めたいと思います。

 ですから、悪魔の王国を攻撃して、最初の地所を定められた私たちの創造者に栄光を表す、光り輝いているが、乱暴な聖戦で昔の農場荷馬車の戦闘馬車に私たちが乗るとき、どうぞ、このリストで防備してください。手すりをつかんで、帽子を押さえていてください。これを読んでおられるあなたを手荒く扱っているとお考えでしょう?それでは、哀れで、なきものである私はどうでしょうか?私はそれを書かなければならないのです!私がそれを正しく書けるように神が助けてくださいますように、また、あなたがそれを正しく読めるように神が助けてくださいますように。23章戻って、執筆は、一時的ですが、私はそれをわきに置き、庭に出て、野菜畑の2,3列から草を鍬で掘り起こすような闘いでなければなりませんでした。その『土地を耕すこと』は闘いの最中に確かに助けになりました!

 

 

『天のお父さま、どうぞ、悪魔の王国に抵抗する強烈な願いを私の内に創ってください。そうするために、悪魔の王国を構成しているもの何であるかを私は正確に知らなければなりません。どうぞ、それが何であるかを正確に私に教えてください。どうぞ、私が愛するに至った悪魔の王国の事柄の理解を私に与えてください。どうぞ、この世のものと悪魔のものとを愛するその罪の悔い改めを私に与えてください。どうぞ、あなたの被造物である人間のためにお定めくださいました人生のために神の与え賜う愛を私の内に創ってください。また、どうぞ、私の人生のためにあなたの神聖な御計画を私にはっきりと教えて、導き、あなたの被造物である私のためにあなたのその神聖な御計画に従うよう私を助けてください。私はこれらのことをすべての他の人たちのためにも祈ります。私は、自分を含めてどのような他の被生物に仕えないで私の創造者なる神に仕えることを強く願うことを、私はあなたに告白いたします。それで、あなたの無限の御力によって、どうぞ私がそれをできるようにしてください。私はまた、これらの問題に関するあなたの御意志を行なうよう、すべての他の人間を助けてくださいますようにあなたに祈ります。私のこの祈りを聞いて答えてくださいましたことゆえに、私の主よ、あなたに感謝いたします。アーメン。』

 

 

(創造者対創造者第4章終了。)