神が私たち人間に要求しておられることを学ぶために、あなたがお持ちの聖書を徹底的に勉強してください。次に、聖書の中の、私たちへの創造主の命令に反逆した人類の記録を見るために、歴史を勉強してください.現代の人類が神のみことばに関して何を行っているかを歴史であなたのまわりを見渡してください。そして次に、神の恵みによって、あなたが創造主に従うときにずっとよく行うのだと決心してください。
「天のお父さま、どうぞ聖書のすべてに従いたいと願う心を持って、毎日聖書を学ぶために熱心でありますように私を助けてください。あなたの純粋で、腐敗しない知恵をどうぞ私に与えて、あなたの聖書の意味を私に徹底的に教えてください。もし、私が、あなたに反逆した人間についての知恵をもっと得るために、聖書に記録されていない歴史を研究することが、私へのあなたの御意志ならば、その時には、あなたが私に学ばせようとしておられる、正確で、真実な歴史の記録の出典に、どうぞ私を導いてください。このことを他のクリスチャンすべてのためにも祈ります。アーメン。」
善悪の知識と「上昇する」能力が私たちへの神の賜物であること、また、私たちは、それらの可能性を利用して、できるだけ偉大になるために上昇することを我らの創造主にお陰を被っていることを信じる大勢のクリスチャンたちを見てください。そうすることができないことは、神が私たちに地上の生涯を処理することを期待することに達しないことでしょう。
善悪の知識と「上昇する」能力は私たちへの神の賜物であると考えるほかに、多くのクリスチャンたちは、私たちが高く上昇した領域に達成することや、月へ行くような大きな偉業を成し遂げること、私たちが作るすばらしい機械やハイテク実用新案機械装置を発明すること、そのような大きな業績はすべて、私たちのできる限りの努力をしたゆえに私たちに授けてくださる神の祝福であると考えています。それが多くの人達の考えです。私は、この人達は悲しいことに考え方が間違っていること、それが真実かどうかを見るための神の知恵を求めることが私たちはすべて重要であると、信じています。
「天のお父さま、私は、この問題において、あなたの知恵を切に求めます。私たちが高等教育の中で得る「知識」と、それが私たちに「上昇する」ことを与える能力が、あなたから来たものかどうかをどうぞ私に示してください。私たちの大きな業績が、私たちに下さったあなたの祝福であるかどうかを、どうぞ、私に教えてください。これらの事に関する、あなたの完全な知恵を私に分け与えてください.私は、このことを、さらに他の人々すべてのためにも祈ります。アーメン。」
私は1800年以来「上昇すること」について、ごく僅かの人達の歴史を分かち合いたいと思います、それから、私が直接に観察しましたことから始めてまいります。
「あなたは、あなたの知恵を腐らせた。」(エゼキエル28:17)。
1950年代と1960年代初期に大人になろうとする間、私は、いなかのアラバマにある多くの田舎の教会に座って、旧式で、聖(きよ)く、罪を憎む、「上昇すること」を嫌い、この世を嫌う、神を愛し、神を畏れる、教育のない説教者たちの言葉に聴き入りました。説教者たちは次のような多くのことについて燃えるような熱心さを持って説教していました。「人間は非常に偉大になりすぎ、また、罪に満ちた誇りで得意になり過ぎたので、自分はいつか月にも行くだろうと誇っています。
そのようなことを自慢するとは、人間は何と罪に満ちて、高慢極まりない者でしょうか!しかし、私は、神は決してそのようなことを起こさせません・・・と、あなたがたにハッキリ宣言するために、この説教壇で立っています。」そのようにしてその説教者達は、ちょうど神がバベルの塔の建設を止められたように、神はどのようにその「上昇すること」を止められるか、または、神は、人間がそのような行為を成就させないために、この世界の終わりを引起されると、語り続けたものです。私は1950年代に、そのような説教を多く思い出します。子供として、それから、10代として、そのような説教を聞いて来ましたので、私の感じやすい、神を畏れる心は、そのような事を説教したあの神の人たちの側についていました。しかし、私は、神は人間が月に行くのを止めさせるという断言については、あの説教者たちが間違っていると、ハッキリと確信していました。概して、教会の年配者がそのような説教に力強く「アーメン」と言って賛同していました。しかし、若者の多くは、私と同じように感じていました。またあまり神を畏れなかった若者のある者たちは、その説教者をあざけってクスクス笑い、互いに顔を見合わせては、「あの説教者はなんてバカな年寄りなんだ!」と言っていたものでした。
神は、私に、「説教者を高く尊敬しなさい。」と教えてくださいました.そのような訳で、説教者に対してクスクス笑うことからもあざ笑うことからも守られたのです.しかし、私はこれらの説教者たちが気の毒でなりませんでした.それは、彼らが神の心と神の霊を持っている方々であり、人間の「上がる」に反対する立場とっていることを気づいたからでした.それでも依然として、私は、彼らが誤った結論を出した事を見ました。それで、彼らがどこで誤ったのか私は理解することができなかったので、私の若い心は当惑してしまいました。しかし何年も経って、なぜあの当時の説教者たちが、予言をした時、あのような誤りを犯したのかその正確な理由について、神は私によい理解を与えてくださいました.
あの神に従順な説教者たちは、人間が月に行くことに反対して説教した時には、神の心と神の霊を確かに持っていました。神は、庭の中を歩き回るために男と女を創造されたのであって、決して、死と隣り合わせの自動車に乗って高速道路を飛ぶように走るためでもないし、あるいは、飛行機に乗って空中を飛ぶためでもないし、月に向かって宇宙を飛ぶためでもありません。神は、人間の最初の、神が定められた領域から「上昇」した人間に反対しています。あの説教者たちは、これに関する神の知心を確かに持っていました。それゆえに、彼らは、月と同じほど高く上昇する人間に反対だったのです。我らの創造者もまたそれに反対です。(興味ある注;あの説教者たちのほとんどは、自動車や電気、自分たちに安楽で穏やかな生活を与えてくれたそのような多くの他の事を発明したような、少しの「上昇すること」に支持しました。)
しかし、神は、月へ行くといった「型破りの」」ことは決して許すはずがないと、考えたときに、当時の説教者たちは、創世記第3章22節の神の非常に重要な言葉を十分に理解していなかったのです。「見よ。人はわれわれの一人のように、善悪を知る者となった。」またそれよりもさらに悪い事には、多くのクリスチャンたちも、主なる神が創世記第3章22節の中で語られたことを単純に見落としていたのです。最近、私は、15人程の英語を話すクリスチャンの大人のグループにこのことを教えていました。私が聖書を読む時、彼らも全員自分の聖書の創世記第3章5節を開けました。「それは、あなたがたがそこから取って食べる日に、その時あなたがたの目が開かれて、あなたがたは、神々のようになり、善悪を知ることを、神は知っておられるからです。」それから、私は、彼らに、蛇がエバに「あなたがたは、神々のようになり、善悪を知る」と話した時、蛇はエバに嘘を言ったと思われたか、真実を言ったと思われたかを「手を上げて示してください。」と、このクリスチャンたちにお願いしました。私は、まず、蛇が嘘を言ったと思った方々に尋ねました.3人を除いて全員が手を上げました。次に、私は、蛇が真実を言った方々に尋ねました。あの3人が手を上げました。これらの教会員のほとんどが成熟したクリスチャンだったのですが、約20%だけが正確にその質問に答えたのです。創世記第3章22節で、神である主ご自身は、蛇がエバに真実を伝えたことを私たちにハッキリとに知らせておられます。「神である主は言われた。『見よ。人はわれわれの一人のように、善悪を知る者となった。』」ですから、どうぞあなたの知心の中に創世記3章5節と3章22節の二つを一緒に結びつけて、人類は最初に自分の創造主に背いた時に、神々のようになったことを決して忘れないでください。そのような訳で、その質問への正確な解答は、私たちにクリスチャンとって、二つの理由で非常に重要です。
第一に、そのことによって、私たちは、人は善悪の知識から食べる獲得する偉大で、「神のような」能力を正確に理解させてくれるからです。その理解によって、私たちが、神は人間が月に行くことを決して許さない、と予言したあの神に従順な説教者たちのように、無謀で、偽りの予言をしなくなります。第二に、それによって、私たちは、「上昇する」ための最大限の努力によって、十分に利用するべき私たちへの神の祝福として「上昇すること」を見ないように「救って」もらえるからです。
「天のお父さま、創世記第3章22節のあなたのみことばの意味について、どうぞよい理解を私にお与えください。人類が善悪の知識を得ることによって、あなたのようになることはあなたのご意志でなかったことを知るように私を助けてください。人類が、あなたに背いたことによって、その能力を獲得したことを、私に十分に知る者にさせてください。さらにまた、私たちが行う「上昇すること」の関連したことがあなたへの反逆であることを私に教えてください。このことを他の人々すべてのためにも祈ります。アーメン。」
私たちクリスチャンのほとんどは、創世記第3章22節で主なる神の宣言された意味のすべてを必ずしも完全に理解したわけではなかった。1950年代の成熟したクリスチャンの多くが、神は、現在人間が上昇したと同じ程高く上昇することをお許しになられると考えていなかったのです。私たちも、神は人間にそれほど上手に首つりに使うロープをこれほど多くお与えになるとは思いませんでした.しかし、善悪の知識に近づくことによって人類が、神のようになった時、「信じられない」程の高さまで上昇する能力と、壮厳に自己を破壊する能力とを獲得しました。また神は、クリスチャンの多くが、神はその上がる試みをさせるだろうと、予想以上長く続けさせておられるようです。また、神は、多くのクリスチャンたちが考えた以上に、その上昇することを長く続けさせておられますし、また、神は人に、多くのクリスチャンたちが、神は寛大に扱われると、一度も考えたこともなかった驚異的な離れ業を成就させておられます。私たちの誤った考えは、創世記第3章22節の神のみことばを不十分に理解することからから端を発しています。人は神のようになりました。それゆえに、人間は多くの「神のような」偉業を成し遂げようとしています.ですから、それが起こる時、驚かせても、混乱させてもなりません.人間にこれまで起こった最も有害で、最も潜在的に危険なことは、彼らが、エバとアダムが自分たちの創造主に実に最初の不従順であったことが基で、神々のようになったことです。神のような上昇する能力を働かせることは、私たちが行う、創造主に対する最も根本の反逆行為です。また、それは私たちが行う、最も破壊的な事です。もしあなたが自分の創造主を喜ばせたいと本当に望むならば、この「上昇すること」ことに反対することと、減少したいと望むこと、によって始めます。『私は減少しなければなりません。』
「天のお父さま、もし、リチャード兄弟が、この最後の段落の中で言われたことが正しければ、どうぞ私にさらに強く確信させてください。あなたに反逆する最も根本の方法である「上昇すること」について、どうぞ、はっきりとした理解を私にお与えください。この事であなたを完全に喜ばせたい願望を私にお与えください。どうぞ、私が減少しますように助けてください。他のすべてのクリスチャンがどのように人間は、あなたに反逆するのかについての、この非常に根本的な行為を知る十分な知識に至りますように。また減少したいと願う望みを彼らにお与えください。私たちすべてを助けてください。愛する主よ、私は祈ります。アーメン。」
神は、人間の「上昇すること」ことに反対です。それは神に対する罪だからです。それゆえに、神を愛する私たちもまた、自分たちの所から上昇することに反対すべきです。ちょうど、人間が月へ行かせないために神がこの世界に終止符を打つべきである、と考えたあの古風な説教者たちのように、あの時から何年にもなりますが、私は、人間の「上昇すること」のすべてを終わらせるために、キリストが地上に戻って来てください、とずっと祈ってきました。私の願いが神を非常に喜ばすことであると、私は信じています。私は、あなたもその願いを持つべきだと、信じます。
「天のお父さま、今、主イエス・キリストがこの地球へ戻って来て、人間が上昇することを終わらせてください、と、私も願い求めるべきであることが真実ならば、どうぞ、私の心に中に、その強い願望を注いでください。私は、このことを他のクリスチャンすべてのためにも祈ります。アーメン。」
数年前になりますが、非常に多くのクリスチャンは、「上昇すること」の人間の罪に関連して、神の心と神の霊を持っていました。それゆえに、その罪は、彼らには不快なものでしたので、強く反対されました。彼らの目はそれがどんなに恐ろしく破壊的なものかに大きく開いていたのです。そして、神は決して人間を月へ行かせない、と宣言するような誤った予言をする結果を彼らに生じたその罪についての神を尊ぶ確信にとっては珍しいことでなかったのです。ですから、神を畏れていた説教者たちもクリスチャンたちも、いつ神が人間の「上昇すること」を止めるかについて間違った予言をしたからといって、単に、人間の「上昇すること」に、彼らが反対したことを拒絶するような誤りを犯さないように、私たちは非常に注意しなければなりません。赤ん坊を風呂水と一緒に捨ててしまうような誤りを犯してはならないのです。
ひとりの、神を敬う監督によって間違った予言について、次の鮮明な実例を読んでください。この引用は、ラジオ聖書クラス(Radio Bible Class)発行の「私たちの日々の糧」(Our Daily Bread)から来ています。数年前に、私はこの1ページを切り取って保存しておきました。この著者の頭文字はH.G.B.です。このデボーションの読物の日付は9月21日水曜日です。私が保存したこの1ページにも出てこないように、何年かも、または、その著者の名前も、私は知りません。同様のへまは1870年に、ある監督によってされました。小さな教派の大学の学長を訪問している時に、彼は、何も新しいものは発明されることはない、と強固な聖書的確信を表現しました。
監督は衝撃を受けました。「飛行は、天使のために厳密に制限されています。」と主張し、「お願いですから、冒涜の罪を犯さないようにあなたの提案を二度とおっしゃらないようにお願いします!」皮肉にも、その誤りを犯した監督は、なんと、オービル(Orville)とウィルバー(Wilber)の父親、ミルトン・ライト(Milton Wright)にほかならなかったのです。わずか33年後に、この2人の兄弟は、今、大空に点在する多くの飛行機の先駆となった、空気より重い機械に乗って最初の飛行を行ったのです。「私たちは、自分の考えが単に偏見を持った意見である時には、これは聖書に基づいている、といった明言を避けるように注意しなければなりません。この監督の大失敗を私たちは決してしてはなりません。」
それでその最後の二つの文で、H.G.B.が監督の発言について自分の意見を述べた時、H.G.B.は、風呂水と一緒に赤ん坊を捨ててしまいました.どうもH.G.B.は、監督の語った事はすべて間違っていたのだ、と考えたようでした。
あの最後の二つの文でH.G.Bが監督について言ったことを、私は言うつもりはありません。ここに、ライト(Wright)監督の考えと、信じるところ、確信について永遠にわたしが申し上げることがあります。私は、それらが神から来たものであったと信じています。「彼は、今後、新しいものは何ひとつ発明される事はないだろう、と自分の断固とした聖書による確信として表現しました。」「彼は今後新しいものは何ひとつ発明される事はあり得ないだろうともないだろうとも、信じる誤りを犯しました。しかし、疑いなく、その確信は、何ひとつ新しいものは発明されるべきではないという真に聖書に基づいた、神の教えて下さった確信から来たものでした。疑いもなく、ライト(Wright)監督は、人間の「上昇すること」の罪が彼にとって不愉快極まるものであり、また人間が行うことは恐ろしいことであったので、何ひとつ新しいものは発明されるべきでないという確信を持っていました。監督は、神が「上昇すること」の罪を憎んでおられることを知っていました。彼は、「上昇すること」の罪が増加するとともに神の怒りも激怒もそれに対して増加することを知っていました。それゆえに、彼は、神がそれに終止符を打つことによって、裁く時が来ると知っていたのです。
個人的に、私は、人間の「上昇すること」の罪に反対する、彼の聖書の確信と聖書の信念のゆえに、高くライト(Wright)監督を推薦します。この反抗に反対する私たちの多くは、神がいつそれに終止符を打つかについて間違った推測をしています。1870年に、ライト(Wright)監督は、人間が「上がる」ことによってひどく拒絶されたので、彼は、そのとき、神は今にもそれを止めようとしておられる、と思いました。1950年代に、神は決して人間が月へ行くのを許さない、と宣言したあの神に従順な説教者たちは誤っていました。私は、人間の発明と「上昇」のすべてに終止符を打つために、今(2,003年)になる前にキリストが帰って来られるだろうと、確かに個人的には考えていました。大多数のクリスチャンもそのように考えていました。だから、私たちの多くは推測する時点で誤ってしまったのです。しかし神をほめたたえなさい。私たちのうちだれ一人、人間の「上昇すること」の罪と、人間がその罪からくだらない物を生ずるすべての発明に、反対して間違いの人はいないのですから! 私たちのだれ一人として、減少して間違いの人はいません。神がそれをするように私たちを助けてくださいますように。「私は減少しなければなりません。」
人間の「上昇すること」の罪に反対する私たちの内、あの人たちは、神がそれを止める時をしばしば誤って推測するので、この「上昇すること」の罪を好む嘲笑者たちは、「上昇すること」は何がなんでもでもおかしいことを信じる間違いをしていると、すぐに、大声で公表するのです。疑いなく、あなた方のうちの多くは、その監督の言ったことをいなないて、笑ったと思います。2003年の今、そのような言葉はなんとばかばかしいように見えます。私は、神を畏れる説教者たちが、神は決して人間が月へ行かせないだろうし、人間が生命を「創造する」するなんて決して許さない、等とハッキリと言うのを人々が聴いた時に、そのような クスクス笑いと愚弄の笑いを私の人生の中では、個人的に多くを聞いたことがあります。「彼は時代に遅れている。」「彼は現実の事情に疎い。」「彼はあまりに古すぎる。」「この世界は彼を無視してしまった。」本当に、この世界はそのような人々を無視してしまいました。しかし、神は、もちろん、そうではありません。そして人間がもっと高く「上昇」すればするほど、それだけ「上昇する」事に反対する人は誰にとっても、上昇した人間にはますますばかげたことであるのです。だから、人間の「上昇すること」の罪に関する神の知心を知る現代のごく少数のクリスチャンは、恐らくは出来るだけ高く「上昇すること」の罪に心を注いでいる大多数の圧倒的勢力によって、その罪については少しも語らずに黙り込んで余計臆病になってしまいがちです。私はこれに関するライト(Wright)監督の聖書的確信と信念を深く賞賛しています。「彼は、新しいものは何ひとつ発明されることはあり得ないという、確固とした聖書的確信を表現しました。」この誤った発言は、人間が「上昇」し続けて新しいものを発明することは間違っており、邪悪であるという、神の栄光を表す信念から来たものです。飛行は、厳密には天使のために制限されています。」アーメン! それは普通正しいことです。神は、エデンの庭の中を歩き回るために人間をそこに置かれました。人間は、ハイウェイを下って飛んで行くために、あるいは、大空を通って飛んで行くために、あるいは、宇宙を通って飛んで行くために、あの最初の、神がお定めになった領域から決して出るべきではなかったのです.「冒涜の罪を犯すような提案を二度と繰り返さないようにお願いします。」私は、ただ監督がそれを「冒涜」と呼ぶことどれだけ正確であるかはよく分かりませんけれども、その発言に対して何も反論はありません。 彼はそれについて100%正確であるかもしれません。その信念は、疑いもなく、神を畏れることと、神への愛から来たものです。また、私たちすべては彼の警告に注意を払うべきであると、私は考えます。私は、ライト(Wright)監督と、神は人間を決して月に行かせないだろう、と宣言した説教者たちと、「上昇する」ことの人間の罪に反対して神の側に立った他のそのような神を畏れる信者たちを深く賞賛しています。神が様々なことに終止符を打つか時を推測したことにひどく間違いはしましたけれども、私はこの方々を大いに賞賛しています。
この方々のと、私の多くの不正確な推測は、もっと多く差し控えるように、また、私の推測については独断的にならないようにと、私に教えてくれました。神は罪のすべてを終わらせて、裁き、罰を下されます。神は、被造物のすべてが「上昇」して、神に反抗することを止めるために、この世界に終わりをもたらされるのです。
しかし、私たちは、神がそれらの事を行われる正確な時を知りません。また、私たちが神の好機を推測しようとして、その予言が間違った場合、私たちは、神を憎む人々によって多くの嘲笑に自分たちをさらすことになります。私たちの不正確な推測と推定は偽りの教えに相当します。それだけで、聞く人たちに、私たちがそれに沿って宣言した真実を無視して拒絶する口実を与えてしまいます。私たちが、神は一定の時にその罪を止めるといった偽りの予言を付け加えると、「上昇すること」を愛する人たちは待ってましたとばかり、私たちがその罪に対して言うことまでもすべて、簡単に拒絶してしまうのです。ですから、神の栄光のために、また、私たちが教える真実の確実性を破壊させないために、私たちは、容易に誤るような予言をすることに非常に注意しなければなりません。私たちは、その見解も推測も正確なものであって、神から予言したのではないと明白に述べるべきです。私たちは、不注意になる時、多く害するので、これらの問題を扱う際には非常に注意するように神が私たちを助けてくださいますように。
「天のお父さま、あなたをもっと愛して、「上昇する」人間の罪に対して聖なる嫌悪をも持ちますように私を助けてください。あなたが人間の上昇することや、ほかの何事に関しても、止めてくださる時について、偽りの予言をしないようにどうぞ私を守ってください。無謀で偽りの予言があなたの真理を引き下げて嘲笑者に嘲笑する多くの理由を与えているので、そうならないようにどうぞ私を守ってください。このことを他のクリスチャンすべてのためにも祈ります。アーメン。」
現代の人類は「上昇すること」にとても賛成しています。そこで、私たちの思考がどのように変わったか、また、私たちがどのように、「上昇すること」に関して神の知心からさらに移動し続けるのかについての見方を獲得するために、それに反対した人々のさらに多くの歴史を見続ける事にしましょう。人間の発明と「上昇すること」は1800年代にはるかに高い装置へと、け破って入りました。1830年頃の蒸気機関の発明は、その後まもなく、蒸気機関車を私たちに与えました。そこで、人間の全歴史上初めて、神が創造なさった動物である馬より速い陸上輸送を人間は持ったのです。(風によって動く帆を備えた荷車の使用制限もありました。) 蒸気機関車が使用されてからまもなく、ヘンリー・デイヴィッド・ソーロー(Henry David Thoreau)はそれについて自分の見解を表明しました.
「なぜわしらはそのように急いで生きて人生を浪費しなければならないのか。人間は、商業を持って、氷を輸出し、電信を通して話し、時速30マイルで乗る事は必要であると、考えている。もしわしらが枕木も出さず、レールも鍛造せず、日夜仕事に熱中するならば、誰が鉄道を建設するのか。しかし、もしわしらが家にいて、わしらの事に専念すれば、誰が鉄道を欲しいと思うのか。わしらは鉄道に乗りはせん。鉄道はわしら次第だからじゃ。」彼の最初の文では、どうも、ソーロー(Thoreau)が、「急ぐ」ことは「人生の浪費」と等しいと思っていたようです.彼は、はっきりと、商業を続けることも、電信を使用することも、時速30マイルで旅行することも、私たちは必要であると話しました。彼はまた、家にいて自分自身のことに専念する方に賛成して話しました。現代の考えとその当時の考えを比較してください。
私は、ただそのような「外国の」また、それ以前には全く知らなかった経験がどれ程自分たちには激しいものとなるのだろうかと疑問に思いながら、初めて蒸気機関車に乗ったことを非常に気遣っていた大人について読んだことがあります.一人の男性は便箋を取り出して、それに書き始めました、そして「見てください!」と驚きと喜びの中で叫びました。「時速18マイルも移動する間に私は書くことができます!」今は、上空を時速何百マイルで移動している間、人々は定期旅客機の機内に座って日常的に読んだり、書き物をしたり、食べたり、飲んだり、そのようなことをしているのです。しかし、かといってもはや誰も衝撃を受ける人はいません。
蒸気機関が使用されるとともに、生活は大きく変わりました。しかし、電気が数十年後に使用されるとともにそれがもっと多く変わった、と私は思います.ソーロー(Thoreau)とあの監督が反対したように、私たちは「上昇すること」に反対する人々について知ることは重要なのですが、それだけでなく、新しい発明が多くの人々にどれほど衝撃であったのかを見ることも重要なのです。トーマス・エジソン(Thomas Edison)が1877年頃に蓄音機を発明した時、機械が話すなんて不可能だ、と多くの人々は思いました。なぜでしたか? それは、神がその当時の男たちと、天使たち、時にはロバが話すようにと、定められたからです.しかし、我らの創造主は、機械が話すようにとは定められませんでした.彼らがはじめてレコード・プレーヤーが「話す」のを聞いた時に、実際に衝撃で気絶した人たちが数人いたくらいです。
電気の使用が広がるにつれて、私たちの生活も大きくに変わったので、大勢がそれに反対しました。「そのようなことがあってはならない。」私は、1900年代初期に、ある非常に神に従順な説教者が、マイクの使用と人の音声を増幅することに反対して強く説教したことを聴いたことがあります.彼は、発明が朽ちるべき人間に与えた強力な力を見て、驚きで色を失ってしまい、反対したのです。説教者の持っていたその確信と信念は直接神から来たものであると、私は信じています。
1800年代後半に、内燃機関の発明で、非常に大きな変化が人類にもたらされました。私は、いろいろな国で、初めて自動車が自分の力で動くのを見た時、衝撃で気絶する人々がいたと聞いたことがあります。初めて自動車がそばを通り過ぎるのを見た時すぐに、それがどんな匂いがするかを確かめるために、実際に外に出てその跡を嗅いだ人々もいたのです。自動車は非常に危険すぎるので、絶対に乗らない、と独断的に述べる人々が大勢いました。
(読者の皆さん、もしあなたが、過去に人間の新しい発明によって反対されて衝撃を受けた人々の何か他の「興味深い」真実の話をお持ちであれば、どうぞ私にそれをお送りいただけませんか。どうぞ、できる限り時と出所を証明してください。)
予期された将来の発明が予言された時、絶対起こらないと多くの人々が強く宣言しました。その「不信」は、人間の「上昇」して、そのようなものを発明することに反対された彼らの神の知識(意識的かぼんやり意識したものか)から来たようです。予言された発明が実現した時、彼らの衝撃は、「私は、神が、人間にこのようなところまで行くのをお許しになるなんてただ信じられない!」というような感情から来たものです。心の中で、彼らはそのような「上昇すること」が私たちの創造主なる神への反逆であると知っていました。しかし、クリスチャンの世代を各々が継承するに従って、「上昇すること」の罪への私たちの愛が増加します。この罪への愛は、今日の信者のほとんどに「上昇すること」に不正を見させなくして、絶えず盲目を生じさせるのです。
「生来の愛情を持たない者」
「上昇すること」におけるこれらの主な現実の歩み(蒸気機関、電気、内燃機関、飛行機、コンピューター、宇宙旅行、ハイテクなど)が生じる時、その当時に生きている大人の多くが、私たちの創造主が私たちのために定められた生活とは相容れないものとして、それを認めることのできる優れた能力を持っていました。しかし、その後に生まれた子供たちは成長して、「正常な」生活様式であるためのこの昇進のもっと高い水準であると、気づきます。それゆえに、それには何であれ問題があるということに対する彼らの無分別は、克服することが非常に困難です。また、神が私たちのために定められた生活様式は、以下の実話が(出所はありませんが)多少ユーモアのある方法でよく説明しているように、さらに「異質な」ものになっています。
「私の偉大な祖々父は馬に乗ったが、汽車に乗るのを恐れた。
私の祖父は汽車に乗ったが、自動車を運転するのを恐れた。
私の父は自動車を運転するが、飛行機に乗るのを恐れる。
私は終始飛行機に乗るが、馬に乗るのを恐れる。」
(全く一周していることについて語ってください!)
それゆえに、各々継承する世代は、「上昇すること」によってますます衝撃を少なく受け、反対も少なくなります。各々新世代は、それをもっと愛するようになり、もっとそれを欲しがって、もっと大きな変化を起こし、できるだけ高く「上昇」するために、非常に熱心に働きたいと思うようになります。私たちのハイテク世代は、これに関して恐ろしいほどずうずうしくなって、人間がどれだけ高く上昇することができるかについてはもはや限界はない、と高慢に宣言しています。自分の目には、人間は、神と同等か、神より偉大になったが、それによって、自分の創造主を求めるために必要なすべての知識を失いました。本当に、これは人類にとって、またこの地球上の神の創造にとって、非常に破壊的である非常に悲しい罪です。
現代人は私たちのハイテク発明が私たちに与える、考えもつかない力(パワー)を狂ったように愛するようになりました。それゆえ、人間は自分をもっと強力な被造物、もっと高度に「上昇させられた」被造物にしてくれるもっと偉大で、もっと強力な「もの」を発明する方に惹かれていくのです。大人は1800年代後期と1900年代初期の新しい発明を見て(また聞いて)文字通り衝撃で気絶したのを考慮すれば、現在は、私たちのほとんどすべてが「耐衝撃」になりました。私たちのだれひとりさえも何一つ、本当に驚かすものはもうありません。現在、6歳児が何百ドルもするロボットのようなハイテク玩具の入ったクリスマスの包みを開けます.この装置が歩いて、話し、数多くの「信じられない」芸当をする時、この幼児たちはそれによって衝撃すら受けないのです。かえって彼らは、すぐにそれに退屈してしまいます。これは、私たちが「生来の愛情を持たない者」(第IIテモテ第3章3節)になった一分野です。
今日、彼らがどのようなことをするにも十分に年をとってしまう時から、幼児たちは、ハイテク装置の果てしない配列を自由に使いこなして、自分たちの時間の多くを費やします。そのようにすることによって、幼児たちは、内部を構成するものがほとんど無制限な「仮想世界」(サタンによって作られた)に入ります。これらの世界を探検する人たちは、あたかも自分がその世界を管理しているかのように、感じさせられるのです。これまで彼らを「神々」に変える能力をある程度まで持っていたのですが、今度は他の何ものにもないような「神々」に変えているので、そのことが非常に心配です。心が実に人格形成の状態にある小さな子供たちに、これらの装置が与える大きな力(パワー)はすべて、完全に彼ら自身の「神々」になる「獣」に子供たちを文字通り変えています。彼らはもう絶対に、創造主なる真の神さえも、自分の前に他の神々を持たなくなります。聖書のみことばは、ハイテクの大きな力によって子供たちの心とは性質が非常に異質なものにされるので、彼らが自分たちを創造された全能の神を信じること、すなわち、彼らはこの神に対して罪を犯したので、創造主なる神に悔い改めて、自分の救い主として信じなければならない、ということは、ほとんど不可能に近くなります。
親である皆さん、あなたの尊い子供たちをまっすぐ地獄に送る最も確実な方法の1つは、できるだけハイテク装置のすべてに子供たちを自由に晒しておいて、自由に使わせることであると、私は信じています。それらのものは、悪霊たちで荒らしまわられて、強力なサタンの力を含む、悪魔の武器だからです。あなたの子供たちが、人間の「上昇する」罪が産出物の中に恐ろしい力を獲得しようとする愛は、あなたが想像できる以上に、はるかに強く、はるかに深遠です。それらの装置への愛と中毒が、彼らの存在を全く満たして、所有するので、彼らが、心のどれによっても、また心を尽くしてもなおのこと、自分の創造主を愛することを不可能にしてしまいます。それはまた、神が子供たちのために、他の人間や、親、配偶者、子供たち、家族、友達、同胞の人類に対して持つようにと定められた愛を甚だしく「隠します」。 彼らはそのようなハイテク装置で可能な時間を終始過ごすために迅速に来ます。今の人は、1870年後に何も新しいことは発明されないだろうと言ったことで、その監督はなんと馬鹿げた人なのかと言って、すぐに笑います。彼らは、人間が時速30マイルで旅行する必要があるのかと質問したことでソーロー(Thoreau)をすぐに笑うでしょう。現在、人々は、これらの問題に関して神の心から自分自身が全く異質である過程にあるので、そのような昔の考えが馬鹿げたことであると考えます。彼らは、自分たちの創造主と他の人々を含めて、これ以外のものは一度も愛したことがなかったかのように、この「上昇する」罪の力を愛するようになりました。「上昇すること」に関する注意と、条件、制約はすべて、またそれに対する反対のすべては、集団が、あたかも自分たちの親友かのように「上昇すること」をしっかりと抱擁するので全く消えていきます。彼らの顔は、個々の新しい発明や進歩、発見などのニュースを聞いて興奮と喜びで燃えるように輝きます。
彼らの話し振りは、彼らが人をさらに偉大でより強力にしたことで、獲得されたそれぞれより高い安定状態を賞賛する時に、興奮でいっぱいになります。これはキリストを拒絶する者を憎む神の考え方だけであるだけでなく、ますます多くのクリスチャンの考え方にもなっていることはどれほど悲劇的なことでしょうか。それは何という恥であり不名誉なことでしょうか。『私は減少しなければなりません。』
「天のお父さま、これまで言及されたあなたを不快にしている問題に関する私の考えについて、どうぞ、すべてを私に明らかにしてください。なぜ私の信念がこれらの事柄に関して間違っているのかを、どうぞ、私に明らかに示してください。上昇し、増加する代わりに減少する私たち信者に関して、何が正しくて、あなたを喜ばせるものなのかを、どうぞ、私に明らかに教えてください。また、あなたの恵みと力によって、これらの問題において正しくするように、私を助けてください。さらに他のクリスチャンすべてのためにもこのことを祈ります。アーメン。」
「今や、何も彼らを抑止されない。」
私がこの章の中でこれまで記してきたものの多くは、創世記第3章22節にある我らの創造主のことばの深い意味をあなたに印象付けることを目標にしています。 「そして主なる神は言われた。『見よ。人はわれわれのひとりのように、善悪を知る者になった。』」また、神が、人間の子供たちが建造した都市と (バベルの)塔を見るために下ってこられた時、神が何と言われたのかも、どうぞ聞いてください。「そして、主は言われた。見よ。民たちは一つである。また、彼らはすべて一つの言語を持っている。そして、このことを彼らがし始めている。だから、今や彼らがしようと想像したことから、何も彼らを抑止されない。」
(創世記第11章6節) 多くの善悪の知識を食べることによって、退化した人類は、自分の創造主に反逆して非常に高く「上昇する」多くの能力を獲得します。「今や彼らがしようと想像したことから、何も彼らを抑止されない。」バベルの塔でなさったように、神ご自身が介入なさったのを別にすれば、神は、人々が「上昇すること」についてしようと想像し、強く望むことをすることを抑止するものは何もないと、ここで私たちにハッキリと語っておられます。完全に理解することによって、なぜ人間が本日までそれほど高度に上昇したかあなたはその意味を完全に理解できるようになります。
19世紀に蒸気機関と内燃機関の発明および電気の発見で始まって、人間は、多くの人々によって、以前は考えも及ばなかった、また、それまで知られもしなかった非常に高い安定状態を獲得しました。19世紀のある時期まで、アダムとエバがエデンの園から追い出されてからずっと続いたように人生の多くはかなり続きました。1800年代まで、最も裕福な人々と地上で最も強力な王たちと支配者たちは、まだ、薪か木炭の火によって身体を暖めていたのです。彼らは、単に夜の少しの暗さのを払いのけるためにろうそくか、石油ランプ、たいまつを使用しなければなりませんでした。地上で最も裕福で最も権力のある人々は、夜は自分達にほんの小さな光を照らすために「ろうそく立て」を持ち運びながら、自分たちの住居内を歩き回りました。旅行するときには、彼らの最も速い陸上輸送は神が創造された馬でした。彼らのいないところで誰かと連絡をとるために、彼らは自分の足で走る人によってか、または神が創造された動物に乗る人によって、口伝か書信を送らなければならなかったのです。もちろん、人々は、この地球の水上でも旅行しました。1800年代まで、水上の最も高速の輸送は風で駆動されるヨットと船でした。音楽と歌唱を楽しむためには、人々は、歌手や音楽家のいる所にいなければなりませんでした。同様のことが、人間の演技、スポーツ、ダンス、ドラマなども楽しむためにも言えました。つまり、地球上の最も裕福で最も権力のある人々は、演技を楽しむために演技者のいる所にいなければならなかったのです。
あなたのずっとより多くの高度に「上昇された」生活と彼らの生活を比較対照させてください。寒さの中ではあなたを暖め、暑さの中ではあなたを冷やしてくれる「機械」を設定して時々温度を調節するだけで、実際にあなたの側では何の努力もなしで一年中、家の中や、乗り物の中、仕事場で快適な温度を楽しみます。
2,3個のスイッチをパチッと入れるだけで、あなたは真昼のように明るい明かりでどのような大きさのところにも溢れさせ、あなたの大きな住居の内も外も、全体から、夜の暗闇を追放することができるのです。旅行する時には、最高の快適さと容易さで、この惑星のどの目的地にも時速何百マイルもの速さで大気中を飛ぶことができ、その間は食事もできますし、その他多くの楽しみを過ごすことができるのです。世界中の人々と相互的な通信を続けることができますし、また、多くの様々な手段によって即時の一方的な通信を受けることができます。人間のパーフォーマンスや製作中のニュース、この惑星の至る所で起こる他の出来事の正確な動画を聴くことも、見ることもできます。固定」位置から私が申しました先程の事ができるだけでなく、また、乗り物に乗って移動している間も、歩いたり、ジョギングをしている間でさえも、そのほとんどの事をもすることができるのです。私は、現在あなたのような「一般の、日常の人々」の多くがほとんど毎日、型どおりに行っている、多くの「神のような」事からそのような簡潔なリストで止めます。しかし、1800年代に入るまで、この地球上に住む最も裕福で最も権力のある人々でさえ誰一人として、かつてそのような事さえもすることができなかったのです。
それで、ほとんどの人々は、そのようなことができるとは夢にさえ見ようとはしなかったのです。「大きく進歩したね!」
そこで、私は、あなたにそれらのわずかの例について考えてほしいし、また、私たちがその中でも、より多くの分野(医学など)で、どれほど高く「上昇した」状態になったかを慎重に考えてほしいと思います。また、私は、それは誘惑者がエバに話したそのことば「あなたがたは、神々のようになり、善悪を知る」が、真実だったからだと、あなたに知ってほしいのです。我らの創造主が、「見よ。人はわれわれの一人ように、善悪を知る者になった。」と、言われた時、主のみことばを信じなさい。また、「今や彼らがしようと想像したことから、何も彼らを抑止されない。」と言われたとき時、創造主を信じなさい。
「天のお父さま、これらの真理を完全に理解しますようにどうぞ私を助けてください。リチャード兄弟がここに書かれたどのような誤りから、どうぞ私をお守りください。あの男が最初にあなたに背くことによって、神々のようになる能力を、どのように獲得したかをはっきりと見ますようにどうぞ私を助けてください。私たちが神々のようになることが、どれほど悪いことであるか、また、私たちにどれほど破壊的であるかを理解しますように、私を助けてください。他のすべての人たちがこれらを理解するようになりますように、私は祈ります。どうぞあなたの知恵を私たちに与えてください。おお、主よ。私は祈ります。アーメン。」
神に従順な男性たちの、この「上昇すること」の罪に対して持った聖なる憎悪は、その罪について神が行うことについて、また、神がそれを止める時について、性急で不正確な話をした彼らに帰着しました。それゆえに、創世記第3章22節と11節にある、我らの創造主のことばの持つ深い意味をいつも記憶してください。われらの主が「上昇した」人について語られたこの二つのことの十分な意味を知ることは、人類がむだに上昇するのをあなたが見る時、当惑しないように、あなたを守ってくれます。また、あなたは多くの人々が自分たちの破滅へと上昇しているのを観察する間、あなたが減少することを、神が助けて下さるようにと必死に祈りなさい。『私は減少しなければなりません。』
「天のお父さま、あなたが私におらせてくださる場所に減少したいという、非常に切実で、真剣な願いを、私の内にどうぞ創造してください。あなたを喜ばすもの以上に上昇しようとする私の望みをすべて破壊するために、どうぞ私の心の中に働いてください。他のすべての人々の心に、これらの願いをあなたが働いてくださいますように祈ります。私たちを助けてください、主よ、私は祈ります.アーメン。」
「民は一つです。」
人間がバベルの塔を建造することの制約を受けない偉業を完成させるために共に集まったと同じ方法で、現在、世界統一化は、全く制約を受けずにできる最大の偉業を完成させるために共に多くの国々の民族を連れてきます。この「上昇すること」を抑制されなかった罪は、神には、また、ライト監督のような人々を愛する神には不快なものです。しかし、容易に間違うかもしれない性急な予言をすることには注意しましょう。神は、ご自身で選ばれた時に、人間の「上昇すること」と発明することのすべてを止めてしまわれます。その時まで、この「上昇すること」の罪に反対して、私たちの心を減少することに定めることは、私たち神を知る者に利益を与えます。『私は減少しなければなりません。』
どのようにあの人間の無制限の上昇することが、ライト監督に不快であったように、キリスト信者たちには衝撃を与えなくなったこと、また、彼らには不快で無くなってしまったことを見るのは非常に残念です。クリスチャンたちがその罪の力を愛するようになり、大事に抱き込むようになって、この世界規模の「上昇すること」の努力をまじめに一生懸命にするのを見ることは何と悲しいことでしょうか.「民は一つです。」
しかし、マラキ書第3章6節で、「私は変わることがない。」と、言われた我らの創造主は、ご自身の被造物(天使たち、と人間たち)のためにお定めになられた事について、これまで一度も変わることがなかったし、これからも絶対変わることはありません。したがって、私たち被造物はすべて、我らの創造主が私たちのために定めてくだり、その中にいることを望んでおられ、それから出て上昇することは望んでおられない、最初の領域を愛すべきです。
『はじめに神が創造した。』
人間は上昇するにつれて、どのようにその語彙が変わったかを見てください。さて、人間は何か新しいものを「作る」か「発明する」とき、彼はそれらのものを自分が「創造した」と特徴のある宣言をします。このように、彼は、自分がしたことについて横柄に嘘をつきます。全能の神、我らの創造主だけが,あの動詞の最も真実の意味で事物を創造する能力を持っておられます。また、私たちが、作って発明することのできる多くの事を誇るために、あの動詞、『創造する』を使う時、全く我らの創造主である神に属する領域を侵奪するのです。私たちがそれをすることは反逆であり、また、罪であることを見るように、神が私たちを助けてくださり、また、それをすることを止めるように私たちを助けてくださいますように。
過去には、我らの創造主である神への畏れと敬意があったために、人々は自分の行動について記述するために『創造する』という単語を慎んで使いませんでした。しかし、20世紀後半には、人々はそのようなことばを使うことはありきたりになりました。そうすることによって、当然私たちは、自分を「高く上げること」を助ける、より高い評価を与えようとする傾向があります。人々は何かを「創造する」ことについて、どれだけ頻繁に話すかを聴いてください。我らの創造主である神は、私たちがそのようなことばを差し控えて、また私たちの子供にも同様にするように教えることを非常に喜んでくださいます。 ああ、私たちが、私たち自身を高く「上昇」して、できるだけ一番偉大な神なるために、あるいは、ただ見掛けだけでも偉大にしようと、多くの様々な事を努力して行ったり、言ったりするのです。神が私たちに減少する心を与えてくださいますように。
「天のお父さま、もし私が、自分は事物を「創造した」と話すことがあなたを不快にするならば、その時は、どうぞ私にそれをあらわしてくださり、そのように話すのを止めるように私を助けてください。アーメン。」
『彼らは、自分では知者であると言いながら、
愚か者となりました。』
私たちを「高く上げ」て、「神のように」力の有るものにするために、一生のうちで、私たちが受ける多くの訓練(そのうちの最も徹底したもの)について考えてください。世界の至る所での教育制度のほとんどすべては、読み、書き、数学をするのを学生たちに教える以上に役立っています。彼らは、「上昇する」時に、彼らを助けるために、できるだけ善悪の知識のすべてを彼らに熱烈に与えます。 彼らはまた、神が人間に委任したこともなかった権力と権威を使って、「神のような」決断をして、また神のように行動するために、学生たちを根気良く訓練します。私は、そのように私たち学生を活発に訓練しようとした大学心理学教授を今でも鮮明に思い起こします.
『もしあなたが、12歳の少女を宇宙怪獣に渡し、彼ができる限りあらゆる方法で彼女を苦しめ、虐待することによって、世界にあるすべての苦しみを終わらせることができるならば、あなたはそれをしますか?』
私たちが現実には決して直面しないような仮想状況を熟考するので、 私たちに全く益がありません。しかし、あの教授は、神だけに属する決定を下し始めるようにと、私たちを訓練するために、それをしたのです。また、私たちの税ドルは、私たちの国家の公立学校内部で、そのような狂気の罪の多くに資金を提供しています。その一方で、政府は、神と聖書が、善悪の知識のあの汚水溜の中に入っていないことを確認するために警戒怠りない番をしています。私は、そのような恐ろしい質問に激怒した静寂の中に座っていました。あの大きなクラスにいた学生のほとんどがその質問を熟考していました。そして、声を上げて答えた人たちの、皆が「否」と、返答したのです。
「さあさあ! ちょっと考えてみてください! 全世界の至る所のおびただしい苦痛を全部終わらせることができるのですよ。何百万人もの人々が、その1人の少女があの宇宙怪獣の手で苦しむのと同じだけ苦しんでいるのですよ。ただ1人を苦しませることに賛成するだけで、人々の苦痛を全部終わらせることができるのですよ。」そしてそのようなおおげさで、説得のうまい言葉を用いて、この教授は、それについてはちょっとの時間だけ使って、神々のように考えさせるために着々と私たちを変えようとして、毎日この主題を提案し始めたのです。
彼は自分に合わない仕事を抱えていたのは確かな事です。なぜなら、1966年に、アラバマ州のオーバーン(Auburn)大学は、学生として私のような赤っ首野郎農場少年たちが多くいたのでまだ大勢が保守的でした。あの心理学教授は「リベラル」(それは嘘でした)ヤンキー(Yankee)でした。そして、私は、オーバーン(Auburn)大学の心理学と社会学の教授の多くが「リベラル」ヤンキース(Yankee)であることを発見したのです。その何年にも渡って、なぜ彼らのうちこれほど多くが、ディープサウス(Deep South)の赤っ首野郎田舎大学で、単に「偶然に」教えていたのか、と考え中に、私は、『彼らは私たちの考え方を大きく変えるという重大な使命を持ってここに来たのだ。』との結論に達しました。(オーバーン(Auburn)は、農業/農場経営で人々を訓練するために設立された、アラバマ(Alabama)の無償払い下げ土地大学でした。それで、「田舎大学」として多くの人々によって嘲笑して引き合いにされたのです。) 私がその元で勉強した数人の「リベラル」ヤンキー(Yankee)の教授たちは、このような「発展の遅い」場所で生活していることをどんなにか深く悔いているか知れない、とよく不満を言ったものです。それがまた、なぜ彼らは教えるために,ここを選んだのだろうか、と私をいぶかしげに思わせたのです。なぜ彼らは、ヤンキー(Yankee)の自宅にとどまって、自分たちが満足のいく「リベラル」大学で教えなかったのだろうか。その理由とは、ちょうど私が、この離れた日本という外国の土地で生命を変える使命を帯びているように、彼らは、生活を変える重要な使命を帯びてオーバーン(Auburn)のような学校へ行ったからでした。また、あのヤンキー(Yankee)教授はアラバマでの自分たちの生活状態について不満を言っていましたが、彼らは誠実にそこにとどまって発達の遅い被造物を「上昇させる」という彼らの目標に従事していたのです。
あなたは、私が「リベラル」を偽りと呼んだことに気づかれたでしょう。もともとそれは「寛容で心が広く、順調な改革あるいは進行」を意味するために使用されています。この単語の真の基礎となる意味は寛大であることです。最近、私たちは、反対の2つの考え方を定義するために「リベラル(自由主義者)」および「コンサーバティブ(保守主義者)」を使います。「保守主義者」は一般に神が彼らを創造した状態のままにしておくに与(くみ)します。「自由主義者」はできるだけ上昇することに与し、人間の力によってできるだけ多く、人間と神の創造を変えることに与します。彼らの思考と行動のほとんどすべては強く神に敵対しています。
ああ、私のあの「神に敵対する」教授は私たち学生を変えて、「神のような」決定を下すために、私たちを訓練することに非常に勤勉に働きました。毎日、彼は、私たちにその仮定的疑問を投げかけたものでしたが、クラスの皆が全く堅く固守しました。『いいえ、私たちは、世界で他のものすべての苦しみを終えるために、自由に彼女を苦しめて虐待するような宇宙怪獣に、12歳の少女を渡しません。』そこで数日後に、このずるい教授は、私たちが「神のような」決定を下すことをもっと簡単にして、自分の戦術を変えました。
『地上の苦しみをすべて終わらせるために、宇宙人に彼女の頭から髪の毛を1本引かせてはどうですか?』
今度は、これまでと全く違うので、それほど痛くはありません。そこで男子学生が遠慮なしにすばやく神の役割を引き受けて、『はい。』と言いました。
そこで、その教授はその学生に個人的に質問しました。『2本の髪の毛ではどうですか?』
『あなたは1本と言いました。』
『分かっています。しかし、今度は、私は賭金を引き上げました。彼に髪の毛を2本引き抜かせてはどうですか?』
単に簡潔に躊躇して、その学生は「はい。」と返答しました。
「彼に少女の頭から髪の毛を全部引き抜かせてはどうですか?」
今度は、その学生は、世界の多くの苦しみ全てを終わらすことはどんなに素晴らしいことだろうかと、考えながら、前より長く躊躇(ためら)っています。誰かがこの少女の髪の毛を全部引き抜いたら、彼女にとってどんなにか大きな苦しみになるだろうか。しかし、髪の毛はじきに生えてきます。少女は回復して、その精神的外傷の経験を乗り越えるだろう。実際には彼女に危害を加えるものは何もありません。また地上でそれ以上苦しまなければならない者もだれもいません。ですから、私たちができるこの神のような『善』を求めましょう。とうとう、彼は「はい」と答えますが、今回は少々不承不承に無邪気な少女にそのような多くの苦痛をもたらしたことに対して後悔をしています。
「はい」の返答を得続けるとすぐに、教授はもちろん、再び賭金を引き上げていきます。再び同じ若者に話しかけて、彼は、今度は、『この怪獣に少女の腕の1つを折らせてはどうでしょうか?』と聞きます。
今度は、その学生は長いこと躊躇して、自分は神として何をすべきかと考えています。教授は学生をせかせないで、むしろ根気よく待ちます。それは、彼が非常に熟練していて、私たちを「高く上昇」させて神々のようにならせる仕事に熱心だからです。彼にとっては、それが非常に重要な仕事だからです。加えて、彼の高給はそこに怠惰に立って、教育としてなりすましたこのごまかしへの返答を待っている間の時間もすべて、支払われるのです。とうとう、その学生は「いいえ。」と答えます。彼は、神を弄ぶほどまで行こうとしません。
「なぜしないのですか。」この教授は皮肉とあざけりの声で聞きます。
その学生がその返答をじっと考えていた様子だったので、私は、この教授が続けていた邪悪さに私の内側が煮え繰り返っていたので、手を上げました。彼は私を認めたので、私は語勢を強めて迅速に口を滑らせて言いました。『私たちには、そのような決断をする権利がありません!』概して、当時の学生のほとんど全てはそのように感じていました。しかし、恐らく、彼らは出てきてそのことを言うことを恥と思っていたようです。私も、この教授がそのことを攻撃すると知っていたので、それを言うことをとてもためらっていました。しかし、私は、この教授の罪にまみれた言動に非常にうんざりしていたので、もはや静かにしていることができなかったのです。
恐らく、教授は、私の口を開かせて、それを認めさせることが嬉しかったのでしょう。そうすれば、もっと吹聴して攻撃することが出来るわけだから。彼は、傲慢な態度を声に表して、喜んだように私に質問しました。『どうしてなのだね? なぜその権利がないのだね?』と、彼は嘲りと嫌味たっぷりに私に尋ねました。
その当時、私は、どうして自分たちにその権利がないのかを本当に知りませんでした。それで、私は自分の答えを弁護することが出来なかったのです。私は、そのことを説明するようにと彼に尋ねて欲しくありませんでした。ただ私を信じて、私の答えは真理であると受け入れてもらえばよかったのです。私は、彼が私を皆の注目の的にしたので、どぎまぎして顔を赤らめて、『ただその権利はないからです。』と、何かとても弱弱しく返答しました。それから、教授は、彼の質問を受け流す能力を持っていなかったのだ、と私が失望している状態のままにしておいたのです。
しかし、教授殿。今、私は、なぜそのような決定を下す権利がないかを正確に、非常に良く知っています。したがって、私は、今、あなたに(また全世界に)答えたい!「それは、単に、我らの創造主である神が私たちにその権利を与えておられないからです。また、あなたが私たちを行うように訓練していたように、私たちがそのような権利を捕らえる時、それは我らの創造主に対する『上昇する』という反逆の罪です。」
大学に在学していた時、私はクリスチャンでしたので、私の中に居られた神の霊は、その罪が私の中に嫌悪の情を起こさせてくださいました。しかし、私はその時は、未熟なクリスチャンだったので、なぜそれが不愉快極まるものだったかをよく理解していなかったのです。
私は、あの当時の教授の罪に満ちた言動のこのような長い説明であなたを退屈させてしまったかもしれません。しかし、私がこれまで残らずお話して参りましたのは、極めて緊急を要する重要な事をあなたにお伝えする為であったからでした。それで、これから私のお話しすることをよく聴いてください! 教育制度のほとんどすべてが、学生たちの肥沃な若い心に、あのような汚い、罪にまみれた、悪魔の働きをしています。つまり、念入りに、学生たちを「起き上がらせ」、神々にしていこうとしているのです。あの邪悪な洗脳が教育の中でもっと当たり前になっているのです。それはより極端になってきて、着実に弱年層の生徒にまで移動しています。それは、私が、1952年から1964年まで通学したアラバマ州(Alabama)の当時の地方学校の12年生には、実際に全く存在なかったのです。そのようなことは、私が大学に行くまで、私を攻撃しなかったのです。しかし、今、恐らくそれは大学に在学中に私を攻撃したよりも、もっと強く幼稚園児たちを攻撃します。
そのようなことが、私が教育について反対することです。私は、あなたがた親たちがご自分の子供たちに、読み、書き、数学、歴史、聖書などを(家庭で)教えることに反対しません。しかし、あなたが子供たちを通わせる公立学校のほとんどは、ちょうどオーバーンであの教授が私にしようとしたように、子供たちを神々にするために訓練します。教育は子供たちに「利益」を教えます。妊婦と私たちの「人口過剰衛星」には、まだ生まれていない胎児を中絶する事について教えています。それゆえ、彼らに、この殺人の行為に賛同して、殺人を犯すようにと訓練しているのです。
教育は、彼らに安楽死と法的な自殺の「利益」を教えます。神だけに属しているこれらの決定を下すように、と彼らを訓練します。
教育はまた、できるだけ最も偉大な神になる力を人間に与えるために、できるだけすべての善悪の知識を与えます。教育のそれらの分野はほとんど、神に敵対しています。それらは人類に対して最も破壊的です。それらは我らの創造主に対して非常に罪に満ちた反逆です。それゆえに、神を知る私たちはできるだけ活発にそれらに反対すべきです。私たちはまた、私たちの望みが起き上がるのを押さえるべきであり、むしろ減少する事を願うべきです。『私は減少しなければなりません。』
教育者は、自分たちが政治、医学、宗教、等のすべての分野において、私たちの将来の指導者たちの知心を訓練していることによく気づいています。それゆえに、彼らは、まだ生まれない赤ん坊を殺し、老人と虚弱な人々、病人、またそのような人々を殺す神のような決定を下すために、リーダーたちの心を訓練する重要な目標を持っています。 彼らは、動物の命と人間の命の遺伝子組換えをすることによって、また他の多くのそのような事を行うことによって、神を演じるための学生を訓練したいのです。彼らの目標は、神の創造を覆う神の力と権威を彼ら自身のものへと行使するために、これらの若い知心(マインド)を訓練することです。それゆえに、彼らは被造物を創造主に変えるために非常に熱心に働いているのです。これは何と罪に満ちた反逆でしょうか!
現在の神に従順な医学の人事課が、生命を与えるとか、または、生命を取るとか、神が創造された人体を変更するなど、すべての大きな能力を持って、何という困難な場所にいるのか、とはっと気づく事がよくあるのを見てください。神に不快にすることを行う彼らの上に、大きな圧力がのしかかります。彼らが、もしその様に上昇して、そのような大きな力を獲得しようと努力しなかったならば、その非常に困難な決定に直面することはなかったでしょう。立法者(政治家)は同じ理由で当惑しています。つまり、神は、人間が作らなければならないとは、決して定められなかった人間の生命について困難な決定を下さなければならないことです。被造物である人間は、できる限りすべての善悪の知識を貪る時、確かにあまりに多く引き受けすぎる。
私の心理学教授が、行動して、私たちに神々になるように訓練していたことについて、私たちを真剣に考えてください。あなたの目を開いて、あなたの周りで、その学生たちから小さな子供に至るまで同じことを行っている教育制度を見てください。恐らく、そのようなことが行われていた時に、あなたも、『なぜ私は高額な大学授業料を払ってまで、こんな愚かで無意味な事を単に無造作に放り投げているのかしら。』 と思いながら、教室に座っていたかもしれません。親として、あなたも、『なぜ私は、高額な授業料を払ってまで、子供たちにそんな悪魔のくだらないものを単に放り投げたのかしら。』と、思っているかもしれません。もしあなたが、なぜ「素晴らしい」学校や大学が、そのような無益で無意味な事を行ってきたのかと、混乱していたとしたら、そのときにはぜひとも、今私があなたに伝えていることを信じてください。彼らは、人々を神々にするために「上昇させる」悪魔の仕事を行ってるのです。『自分では知者であると言いながら、彼らは愚かな者となりました。』(ローマ人への手紙第1章22節)
神は、悪魔の働きが行われているクラスに出席するクリスチャンには非常に不快な思いをなさいます。神の怒りは、悪魔に子供たちを神々に変えさせて、地獄に追いやるためにはベストを行う、それらの教室に喜んで自分の子供を送り込むようなクリスチャンの親たちから重く、身辺から去りません。クリスチャンの親は神を喜ばせる方法で自分の子供たちを教育する事は、創造主への確かな義務です。一旦あなたの子供が成年期に達して、もし息子か、娘が聖書大学で聖書を学びたいと願うならば、彼らが真に神に栄光を表す大学に行くことは絶対不可欠です。
「天のお父さま。リチャード兄弟がここまでの数ページに書いた事に関するあなたの純粋な真理を私に教えてください。私は人の言葉を単純に信じることができません。私はそれを私に確かめてくださる神さまが必要です。教育制度が学生たちを神々に変えようと努力する巧妙な方法のすべてを、どうぞ、私に十分に気づかせてください。それがただどんなにかあなたを不快にするかを完全に知るように私を助けてください。 あなたに恥辱を与えるどのような学校にも行かないように、どうぞ、私をお守りください。
また、あなたに恥辱を与えるどのような学校にも私の子供たちを行かせないように私をお守りください。悪魔は、私たちになってほしい神々に変えることができなくなるために、私の子供たちと私自身を悪魔の教室から守ってくださり、私があなたに何と重い責任を負っているかを私に知らせてください。これらの事を他のクリスチャンすべてのために祈ります。アーメン。」
「愚か者は心の中で言った。『神はいない。』と。」
人類は「上昇する」ことに努力するとともに、どこかに、途中で、彼は、我らの創造主を社会から締め出して、創造主は存在しないなどと、と宣言して、本当の神を取り除いてしまいます。歴史を詳細に見ると、上昇して偉大になった文明のすべてははなはだしい程、神を締め出すようになる事が多分明らかになるでしょう。それにはたいへん論理的な理由があります。人間が「上昇する」ことは神に対して反逆するので、この二つはただ合わないのです。もし人々が聖書の中にある神の教えを実行するならば、それによってその人々が「上昇する」事ができなくなるか、あるいはそうするとき、少なくとも大きな障害になります。「上昇する」ために自殺的な努力の中で完全に妨げられないで、破壊へと全速力で前方に突入するために、人間はまず、自分の創造者である神を締め出さなければならないのです。つまり、視界から神を消せと。それゆえに、教育者たちは、学生たちの心の中に聖書の知識の量がどれだけあろうと、それが、この教育者たちの仕える悪魔の働きを大きく妨害するので、自分の学生たちを聖書から遠ざけるために最大限の努力をしなければならないのです。それゆえに、公立学校で聖書を禁止するために大きな努力がなされるのです。また、多くの教育者が、聖書と関係を持つことゆえに教室で聖書から声を出して議論することを学生たちが恥じ入るようになるという目標を持って規則的に聖書を嘲ります。
公立学校から祈りと聖書を禁止した1960年代と1970年代の米国政府をふり返って見てください。彼らは、神を学校から追い出して、神を、単純に人間を神々として置き換えて、人間以上のより偉大な存在も、より偉大な権力も、より偉大な権威も認めない、ヒューマニズムで取り替えました。学校が神を締め出したとき、神は直ちにその上に大きな呪いを置きました。また、私たちは、その後公立学校がどんなにか破壊的なジャングルになったかを容易に見ることができます。神が締め出されている限り、その問題を修正して学校を「よりましな」全く意義深い程度まで持っていくことは不可能だろうという助言を受けてください。それは神が、その名は「妬む」であるので、これらの学校を退けて、呪いを与えられたからです。また、人間がどれほど高く「上昇」しようとも、その呪いのしたから逃れることは絶対できません。『あなたは必ず死ぬ。』その解決は、人間が「上昇した」事を悔い改めて、減少することです。『私は減少しなければなりません。』神が、私たちすべてが減少する事を望むのを助けてくださいますように。
同朋の皆さん。人間が自分の創造者である神を締め出すとき、そのことによって必ず心に大きな空白を作られますね?誰かすべての力を持っておられる方、すべてを知っておられる方、宇宙の何処にもおられる方が周りにいてくださることは確かに大きな助けです。私は、その神を自分の周り持つことを確かに愛します。あなたは? アーメン!そして人間が神を締め出して取り除こうと決める時、そのとき人間は、神が、人間に与えるとお定めになった大きな助けのすべてを求めて、何処か他のところを捜さなければならなくなります。また、神を認めない人間は、何処に助けを求めて行きますか?そりゃ、もちろん,自分のところに行きます。彼は神と自称します。それから、「上昇」して可能な限り偉大で力強くなろうと総力をあげて努力します。人は確実に全能の神を必要としています。「上昇しろ。上昇しろ!上昇しろ!」神を従順な人は、人間の恐ろしく罪に満ちた混乱を見たとき、何と言いますか?『私は減少しなければなりません。』『あの方(主イエスキリスト)は増加し、私は減少しなければなりません。』
天のお父さま。あなたが全く減少したいと望む心を私の中に創造してくださる目的で、今,私の心をあなたに全く開きます。
私の生涯のためにあなたの聖なるご計画どうぞ私にお示しください。そしてあなたが私のために定めてくださり、あなたが望んでおられる私がいるなんと低い領域かを正確に私にどうぞ、お話しください。私の生涯のためにあなたの聖なるご計画どうぞ私にお示しください。そしてあなたが私のために定めてくださり、あなたが望んでおられる私がいるなんと低い領域かを正確に私にどうぞ、お話しください。私の人生でこれらの罪と問題を正す力を私は自分の中に持っていないことを告白いたします。ですから,今、あなたに私の心を開きます。どうぞあなたがお入りくださり、私が減少する時、あなたの聖なる助けを私にお与えください。また、私はまた他のクリスチャンたちすべてが減少するのをあなたが助けてくださる目的で、この方々が自分の心をあなたに開きますように祈ります。この祈りを聴いて答えてくださいましたゆえにあなたに感謝いたします。アーメン。」
被造物である人間はどれほど上手に自分の創造者と競いますか? まあ、かなりうまくやっています。ちょうど神がご自分の聖書のあらゆるページに私たちにご自分の偉大さを現しておられるように、人間もまた,その本のあらゆるページに人間の偉大さのほか何も入っていない本を書きます。「ギネスブック。」その唯一の目的は被造物である人間の偉大さを宣言することにあります。また、それは実際によく売れますね? それが神の聖書よりも多く売れた時期が数年ありました。そして、かつてそのように売れた中で唯一の本であると理解しています。その本が聖書よりも売れる時、それは人類がその創造者の偉大さよりも自分自身の偉大さにもっと関心があったからです。私は、そのことにアーメンというのが聞こえますか? 実に人間は自分の努力でうまくやって、非常に高度まで上昇しました。それゆえに、人間の創造主が、まもなく、人間の上昇のすべてに終止符打たれるとき、人間の落下はどんなにか大きいことでしょうか。私は、神が今、あなたの減少するのを助けてくださいますように祈ります。どうぞ私のためにその事を祈っていただけませんか?
『私は減少なければなりません。』
(「被造物対創造者」の第二章の終わり。)