自覚−自分の本当の姿に目覚めて

(英語タイトル:“Convincedサム・ヤービー著)

私は「人間は何にもましてキリストを必要としていること、また世界中の誰にもましてキリストを必要としていることを皆さんにに気づいていただきたいと願いながら、起きて活動している多くの時間をそのために使っている。ほとんど毎日、人々を集めてそのことを知らせようと心を注ぎ出しては人々に話しかけている。私の祈りは皆さんがキリストを自分の救い主として受け入れなければないという必要性を自覚し、悟ることが出来るよう天におられる神が皆さんのうちに働いてくださることである。

だから、ほとんど毎日人々と接し、自分はキリストと何の関係もないと思っているような人々にキリストのことを話している。私は彼らにキリストのために時間を取ることの大切さを自覚し、納得していただこうと努めている。そのため声が無くなってしまうまで話し続けることもしばしばある。私の人生において最も大きな試みはもう声が出なくなると思うほど説教に力を入れる時である。また最も挫折感を感じるのは長い間説教していたために息が切れ、声がかすれてしまって話を止め、休まなければならない時である。時々疲れて腰を掛けようとするが、あまりにも疲れてしまって地獄へ急ぐ人々の姿を見つつ何もできないときもある。キリストを受け入れない人は永遠の地獄に行って滅びてしまうということを人々に気づかせ、納得してもらおうと努力するクリスチャンが少ないのは不思議である。

私が語りかける人々の多くは、私が人生の方向を変え、キリストと向き合わなければならないことを知らせ、納得してもらおうとすると拒否する。多くの人々はあえて神に対して罪を犯したり、反抗したり、神を侮辱したりして、聖書の神の聖なる、義の規準をからかうことに大きな満足と喜びを見出しているように見える。彼らは私の大切な主であり救い主である方を拒むことに、何よりも大きな喜びと満足を覚えるようである。多くの人々が最後の最後にすることは、キリストを必要としているということを自覚し、納得させられることのようにさえ思えるのである。私が聖書の中のある箇所で「罪に定められる」という言葉に心が引かれたのはそういう理由によるのである。

「見よ。主は千万の聖徒を引き連れて来られる。すべての者にさばきを行い、不敬虔な者たちの、神を恐れずに犯した行為のいっさいと、また神を恐れない罪人どもが主に言い逆らった無礼のいっさいとについて、彼らを罪に定めるためである。」

私の救い主は再びこの世に来られる。今度は母の体内に宿り、「宿屋には彼らのいる場所がなかった。」という声を聞くために来られるのではない。また、さげすまれ、人々からのけ者にされるために来られるのでもない。枕する所もなく、人々に信じられない方として来られるのでもない。笑われ、からかわれるためでもない。ののしられ、ばかにされるためでもない。その顔に唾され、打たれ、ひげをむしりとられるためでもない。また、その額に無理矢理いばらの冠を突き刺されるためでもない。その顔立ちがそこなわれて、人のようでないという経験をするためでもない。また、その裸の背に鞭打ちを受けるためでもない。古い荒削りの十字架を背負うためでもない。手と足に錆びたくぎを打ち込まれ、十字架の上に裸のままで掛けられ人々の見世物としてさらされるためでもない。また苦い胆汁を飲まされるためでもない。父なる神に捨てられ、死ぬためでもない。

主が再び来られる時は、王の王、主の主として来られる。その時主は白い馬に乗って来られる。永遠に支配し治めるためだ。両刃の剣で裁きを行い、麦と毒麦を、羊と山羊を、本当の信者と偽りの信者を分けるために来られる。彼を拒む者に対しては、燃える火のような激しい怒りを持って臨み、彼を拒んだ者は永遠に燃える地獄の火の中に投げ込むために来られる。炎のような目をし、大水のように轟く声を出しながら、彼を受け入れるべきだったにもかかわらず、受け入れなかった人々を悟らせるために来られるのだ。

「神の命令とは、私たちが御子イエス・キリストの御名を信じることである。」(Tヨハネ3:23a)神はすべての人がその罪を悔い改めて神に立ち返ることを命じておられる。神は私たちが神の御子、イエス・キリストの御名を信じることを命じておられる。キリストはすべての人々がそうすべきだったと気づき悟らせられるため再び来られる。彼はすべての人々に自覚と悟りを与えるために来られる。あなたも、もしまだ気づき悟っていなかったらその中に含まれている。キリストはあなたを捕まえ、手と足を火の鎖で縛り、火の池へまっさかさまに落とし、そこに永遠にとどまり、永遠にあなたに気づきと悟りを与えるために再び来られる。誰もこのことから逃れられない。あなたはあなたを造られた方があなたを支配し、あなたがすることの出来る最も賢いことは神に従うことだったということを悟らせられる。今あなたは、自分は決して悟らせられはしないと思っているかもしれない。しかし、あなたがあなたの態度を一変させる日が来る。

私が神の救いとその必要性について説明をすると、「それはむずかしいわ。」と一人の若い女性は答えた。しかし、それがもはやむずかしくない日がやって来る。彼女が神の救いを受け入れなかったので、彼女自身希望なく永遠に失われる日だ。彼女はむずかしいということは理由にならないということに気づき悟らせられる。それは彼女が悔い改めようとせず、当然すべきこと、つまりキリストを受け入れることを拒んだからだ。裁きの時、キリストは彼女にキリストの救いを受け入れた方がはるかに簡単だったということを悟らせられる。

私が一人の中年の男性にキリストについて話すと、彼は「本当に神がいるなんて信じられない。」と言った。しかし、彼は神のみ座に引き寄せられ、神の輝く栄光のみならず、主を求めなかったゆえに自分の上に下る燃えるような神の怒りを見る時、直ちに神のおられることを知る。その時、もはや無神論者も不可知論者もいなくなる。

私が一人の老婦人に神について話そうとするやいなや、彼女は「私にはわかりません。」と不意にことばを差し挟んだ。しかし、完全に理解する日がまもなく訪れた。彼女に死が訪れたのだ。もし、彼女が霊的に失われたまま死んだなら、彼女の恐れと嘆願を顧みない、神の聖なる笑い声によって彼女は即座にしかも完全に理解することだろう。彼女は悟らせられる。

私がある一人の青年にキリストを宣べ伝えると、彼は「私は地獄とか、火の池なんかあることを信じない。」と言った。しかし、火の池の中で一秒たりともその熱さを体験するなら、うんざりするほどその現実を悟らせられるだろう。

外の人は「人を火で焼き永遠に苦しめるなんて、神は公平でない。」と言った。しかし、彼は神に会い、神の全き聖さと義を目の当たりにする時、自分がどんなに不潔で汚れているかを嫌と言うほど悟るであろう。彼は完全な天国には自分の住まいがあると主張が出来ないこと、自分にふさわしい唯一の場所は悪魔とその使いたちのために用意された火の池だけだということを悟らせられるだろう。

そしてあなたも悟らせられる時が来る。神は人々を悟らせようと働いておられる。キリストは罪を悟らせる方として来られる。その時は一人として悟らせられない者はいない。あなたが今イエスを拒むなら、やがてイエスの前に膝をかがめて、あなたの舌でイエスは主だと告白する日がやって来る。イエスこそすべてのすべてであり、自分は取るに足りない者だということを認めることになる。あなたは突然自分の哀れな結末を知り、神に憐れみを請い求めて泣き叫ぶことになる。

 しかし、神は天にこだまする聖なる笑い声を持って、あなたを一笑し、神を決して嘲るべきでなかったこと、またその救いの招きを拒絶すべきではなかったことを悟らせられる。神はあなたを地獄の火の中に投げ込まれる。あなたが舌の渇きを癒すためにただ一滴の水を求めて口を開くごとに、神はあなたの口を熱いどろどろした硫黄の火で満たされる。あなたの舌そのものが炎となって燃え盛るのだ。そしてあなたの苦悶の叫びは地獄に落ちた人々のうごめく中を永遠にこだまして、「神は正しく、私は間違っていた。神が勝利を得、私は負けた。神は義なる方で、私はその救いを必要としていた悪い罪人だった。私は今となって悟らせられた。」と告げることになる。そのときあなたは生きている間にイエスを主とし、王とすべきだったことを完全に悟らせられる。

友よ。聞きなさい。神は悟らせられない人を一人も残してはおかれない。救いの日の今、神は罪を悔い改めキリストを受け入れるよう、憐れみと恵みをもってあなたに嘆願しておられる。あなたがこの小冊子を読んでいる今、聖霊がキリストに立ち返るよう、あなたの心に語り掛けておられる。しかし、あなたには神から与えられた自由意志があって、神はそれを踏みにじられることはない。あなたは今キリストを拒み、この人生ではキリストを必要とはしないと思って、神の論しを断固として撥ねつけようとしているかもしれない。しかし、そうするならあなたは永遠にその選択のゆえに苦しむことになる。この人生が終わるや否や、あなたは憐れみを示し、罪を赦し、救ってくださるようキリストに願うべきだったということを永遠に悟らせられる。あなたが今どんなに力があり、強く、自信と確信に満ちていたとしても、全能の神はあなたが安全だと思っているものをすべて残らず、吹き払われる。まもなく、あなたはキリスト無しでは何の望みも無く、保証も無いということを悟る日が来る。この人生が終わって初めて悟らせられるということがないように、私はあなたに嘆願する。今キリストにそのことを悟らせていただくように。あなたの心を開いて、キリストをあなたの救い主として受け入れるように。

キリストはこの世を滅ぼすために再び来られる。もし、あなたがキリストを救い主としてまだ受け入れていないのなら、キリストがそうされるのはあなたのためである。神は神に反抗するあなたの人生をつぶさにご覧になっておられる。天から力ある天使が下って来て、片足を陸地につけ、もう一方の足を海につけて、「もはや時が延ばされることはない。」と宣言する時、それはあなたの罪深い人生を終わらせるためである。起きよ! キリストはあなたのために来られる。あなたを個人的に悟らせるために来られる。あなたを地の表から拭い去り、永遠に燃える地獄の炎の中に投げ込むために来られる。あなたがこの人生で外の何にもましてすべきだったことは「憐れみをもって私を救ってください。」とキリストに叫び求めることだったということを悟らせられる日が迫っている。

キリストは唯一真の神であり、あなたを造られた方である。あなたがキリストの栄光を現すようにとあなたを造ってくださった方である。しかし、あなたの罪があなたとキリストを離れさせ、キリストの栄光を恥じに変えてしまったのだ。それにもかかわらず、キリストは比類なき愛であなたを愛し、あなたの罪の罰を負うために死んでくださった。キリストはあなたの罪を覆うために最後の血の一滴までも流されたのだ。キリストは完全な愛をもってあなたを愛しておられる。イエスのようにあなたを愛せる人は外にいない。キリストはあなたに一度も悪いことをなさったことはない。あなたにはキリストを救い主として受け入れ、あなたを地獄から救い、天国に導き入れてくださるという申し出を断る理由はどこにもない。

キリストなしでは、あなたには何一つ希望がない。キリストは天国への道である。もし、あなたがキリストを拒むなら、あなたは永遠に滅びる。キリストなしでは、あなたは永遠に希望なく失われてしまう。キリストはまもなく、あなたが喜び楽しんでいるこの世の物すべてを滅ぼすために来られる。キリストは地とあなたが快楽を求めてきたすべての物を焼き尽くすために来られる。キリストはあなたが知っている快楽をすべて滅ぼし、あなたが神をお喜ばせするために生きるべきだったことをあなたに悟らせるために来られる。

キリストは太陽を毛の荒布のように黒くし、月の全面を血のように赤く染め、天の星を地に落とすために来られる。それはあなたが神の諭しを拒んでいるからだ。キリストは天を巻き物が巻かれるように消し去り、すべての山や島をその所から移し、あなたを山の洞穴や岩間に隠れさせ、山や岩に向かって「私の上に倒れかかって、御座にある方の御顔と小羊の怒りとから、私をかくまってくれ。御怒りの大いなる日が来たのだ。誰がそれに耐えられよう。あなたの回りにいる人々の心は恐れ失望するだろう。キリストがまもなく来られて、地の上で血の混じったあられと火の雨を投げ付け、草木を焼かれるのはあなたのせいだ。キリストが来られて海を血に変え、川とすべての泉を苦よもぎのように苦くし、その水のため多くの人が死ぬのはあなたのためだ。あなたが一杯の水を求めても、水の代わりに血や苦よもぎのように苦い水だけを飲まされる時、あなたは悟らせられる。キリストが底知れぬ穴を開き、さそりのような力を持ったいなごを送り、それがあなたを刺し、苦しめる時、あまりにも痛く苦しくて、あなたはあがき苦しみ死を求めようとするが、神はそれを許さず、あなたは自分の過ちを悟らせられることになる。キリストはあなたが地にいる時でさえ、火と高熱であなたを焼き焦がし、あなたが苦悩のあまり舌を噛むようにさせるために来られる。あなたが悟りを得て、キリストをあなたの生活の中心としていないのでキリストは火山を再び活動させ、今までになかったような地震を起こさせ、あなたの世界を揺すり、引き裂き、粉々に砕き、全くの廃虚と化すために来られる。キリストはあなたの心を盗み、神ではなく金や物質を愛するように仕向けたこの世の売り買いするやり方を破壊するために来られる。キリストはあなたにこの世のためではなく、神のために生きるべきであったことを悟らせようとして、あなたが知り愛しているこの世を完全に引き裂くために来られる。キリストはあなたの口をこじ開け、あなたに神の怒りの杯に混ぜ物なしに注がれた神の怒りのぶどう酒を飲ませ、あなたを火と硫黄で苦しめるために来られる。あなたの苦しみの煙は、永遠に立ち上る。あなたは昼も夜も休むことがない。その時あなたは嫌というほど悟らせられることになる。それは神があなたを悟らせるために取られる極端な手段である。

キリストはあなたを裁くためにあなたを大きな白い御座の前に連れて行かれる。あなたはキリストの聖で義なる御顔を見る。天も地もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。「いのちの書」が持ち込まれ、あなたはその尊い希望の書のうちに自分の名前を捜すが、徒労に終わる。それは天国行きの

切符である。「いのちの書」に名前を記された者はすべて天の御国で永遠の祝福と幸いにあずかるのである。「いのちの書」に名前がない者は永遠に地獄の滅びに落ちることになる。しかし、あなたの名前はそこにはない。なぜなら、神の前にひざまずき、自分を憐れんでくださるように呼び求め、自分の悪に満ちた罪を赦していただき、キリストを信じた者だけが「いのちの書」に名前が記されるからである。それに、あなたは生きている間キリストが必要だと悟ることを拒んだ。あなたは自分の名前を捜すがむなしい。天のみ使いは悲しそうに「彼が新しく生まれ変わったという記録はどこにもない。」と宣言する。

天のすべての生き物が完全な沈黙をもって見つめている。「彼の行き場はどう書いたらいいでしょうか。」と天のみ使いが尋ねると、神は「彼は失われた者だ」と言わざるを得ない。神にはそれ以外の選択はない。それはあなたが救われることを拒んだからだ。」御使いたちは頭を垂れて泣いた。彼らは一人の人の魂が永遠に失われてしまうことは非常に恐ろしいことだということを知っている。彼らは悔恨すべき判決を天国いっぱいにこだまするような声で叫んだ。「失われた。永遠に失われた。完全に失われた。」と。天の人々はあなたの絶望的な状態のゆえに泣き悲しみ始める。あなたの家族も友達もあなたのことを思って泣き悲しむが、彼らはあなたを助けることはできない。地上であなたを知っていたクリスチャンは、悔恨の念にかられ胸も張り裂けんばかりに泣きじゃくりながらあなたの血まみれになった手であなたのそばに立っている。なぜなら、彼らはあなたに証しせず、キリストを受け入れるようあなたを諭すことをしなかったからである。神の御子はあなたを愛するあまり、釘あとの傷を手に負い、あの野蛮で残酷な十字架の死の苦しみを受け、あなたの罪を覆うために最後の血潮の一滴までも流されたにもかかわらず、あなたは愚かなことにキリストが差し出した救いと永遠のいのちを拒否したのだ。キリストはあなたを愛され、何よりも天の御国で永遠にあなたとご自分の栄光を共にすることを望んでおられた。しかし、あなたはこれらすべての霊的現実を悟ることを拒み、キリストを拒んだ。今となっては、あなたに残されている選択の道は地獄に落ちる道しかない。

あなたは想像をはるかに超えた絶望的な大災難のゆえに慌てふためき必死になって、今までになかった真剣さを持って御座におられる神の前に頭を垂れてぬかずく。そこであなたは半狂乱になって、泣き叫び、わめきながら神に憐れみを求め、判決を取り下げてくださるように請い願う。あなたの取るに足りない遊び、世的な楽しみ、お祭り騒ぎ、宴会、冗談、悪ふざけ、あざけり、贅沢な生活、天の神に対する全くの無視、これらすべては今やあなたにとって狂気じみたものとなり、あなたは自分の人生をそのように愚かに使ってしまったことに自分自身驚くようになる。あなたはこの世の快楽に酔わされていたが、今顔と顔を合わせて神と会うことになった。神の怒りはあなたの上にある。突然あなたは現実とあなたを待っている悲惨な末路に目覚める。ほんの一瞬の間にあなたは全存在に自信、平静、慎み、感情の抑制力を全く失ってしまう。なぜならあなたは絶望的な宣告を受けて、やがてすべてを永遠に失ってしまうことに気づくからである。あなたの真剣な嘆願も神にとっては非常な嫌悪感を起こさせるものとなる。神は災難があなたを襲った時もあなたが恐れおののいている時もあなたを笑われる。あなたは、その時助けを求めるあなたの死にもの狂いの真実な嘆願がどうして神にとっては全く嫌悪感を起こさせるものであるのか知っているだろうか。それはあなたの全生涯を通じて神が憐れみと恵みをもって「キリストを受け入れ救われよ。」と嘆願しておられたからだ。しかし、あなたはそれを拒み、今あなたに差し伸べられた神の愛とあなたを救うために神の御子がカルバリーで払ってくださった大きな犠牲をあざけり笑っている。今あなたは笑っているが、最後に笑われるのは間違いなく神である。

キリストを知らない友よ。神の招きの声に聞き従い、キリストのもとに来よ。あなたはキリストがあなたのために死なれ、あなたの救い主になることを臨んでおられるという福音を聞いている。あなたは自分が霊的に失われた者だということを知っている。あなたはキリストを必要としているということを知っている。たった今、聖霊の神は今まで聞いたことのないようなはっきりとした大きな声で「救われよ。あなたは今キリストを受け入れなければならない。決心を延ばしてはいけない。今日は救いの日である。明日救われるという保証はどこにもない。」とあなたに語り掛けておられる。友よ。自分のいのちが永遠の滅びから救われるために、キリストの嘆願を無視してはならない。今悟りを得て救われよ。人間が目にする光景で最も恐ろしい光景は災難があなたを襲った時全能の神があなたを笑われ、あなたが恐れおののいている時あなたをあざけられることだろう。聖書は「あざける」ということばを使っている。あなたがあなたを救いうる唯一の方の御座にひれ伏す時、あなたはもがき苦しみながら泣き叫び、身をよじらせては必死になって命乞いをするが、その時神はあなたの嘆願を顧みず、あなたを助けない。もし今あなたがこころから神に助けを求めるなら、神はあなたを永遠に助けてくださると私はあなたに約束する。しかし、裁きの時には、あなたの嘆願を笑い飛ばされる。全能の神は気も狂わんばかりになっているあなたの一挙一動、声をつぶさに真似る。王の王、主の主があなたの必死の嘆願を嘲笑われるのを目の当たりにするとは何と恐ろしい、絶望的な光景だろう。「それで、わたしもあなたがたが災難に会う時に笑う。」あなたが嘆願し、こいねがっているそのとき、神の聖なる笑い声が天国いっぱいにこだまして、あなたが必死にすがろうとしている最後の望みの綱があっという間に切れてしまう。あなたの助けを求める嘆願の声を神が笑われるとき、全能の神の聖なる笑い声が宇宙全体に響きわたるのを耳にするのは何と恐ろしいことだろう。失われた人々はその笑いを聞いて、完全に悟らせられる。あなたはその時まで待つつもりか。それとも今、悟りを得たいと願うか。

神は哀れなあなたの嘆願を笑われる。天の使いが呼び出されて火の鎖であなたの手と足を縛り、火の池の中に投げ込まれる。あなたは悟りを得ることなく永遠に歯ぎしりしながら泣きわめく。友よ。そのようになるまで待たないで欲しいと私は切に願う。今、悟りを得て欲しい。

キリストを受け入れなかったことを悔いる滅びの時まで悟りを得るのを待っていてはならない。もし、あなたが今、神に憐れみと救いを求めるなら、神はあなたの罪をすべて赦される。それはあなたに起りうる事柄の中で最も祝福された事柄である。なぜならあなたの罪は全て赦され、罪のための罰は一つも受けなくていいからだ。キリストは十字架の上で流してくださった血であなたをすべての罪から清めてくださる。キリストはあなたの聖となり、義となられる。それは神があなたを裁かれるとき、あなたを義と認めてくださり、あなたを天国の永遠の祝福の中に導きいれてくださるからだ。これこそあなたに起こりうることの中で最も素晴らしいことである。もしあなたがキリストを今受け入れるなら、天国があなたの永遠の住まいとなることを私はあなたに約束する。

しかし、あなたがキリストを拒むなら、あなたは天国に入ることができない。あなたを罪から清めるのはキリストの血以外にはない。

キリストを受け入れないなら、あなたは神の裁きの座の前に汚れた罪人して立つことになる。神はどんな汚れたものも天国に入れられない。もしそうされたなら、そこはもう天国ではない。だから神は“地獄 と呼ばれる別の場所を備えられのだ。神はそこを悪魔と彼の使いのために用意された。しかし、キリストを拒んだ人々をもその絶望的な苦痛の場所へ送られる。そこは火が消えることなく、虫が死に絶えることのない所である。あなたはどうして地獄には火が燃え盛り、うじがうじゃうじゃいるか知っているか。それは地獄は神のごみ捨て場だからだ。もしあなたが今悔い改めてキリストの赦しと清めを受け入れないなら、来るべき世で罪を悔い改め清められることはできない。あなたは永遠に今行っている罪の汚れを吐き続けることになる。それで神はキリストを拒んだ汚れた人のためにその行いにふさわしい永遠の住家を備えられた。そこはあなたが永遠に吐き続ける汚い罪を焼き尽くしたり、食い尽くしたりするために備えられた永遠の火とうじのわく場所である。ここ地上では火とうじはごみを消滅させるものだ。うじは捨てられた肉類を食い尽くし、火は他の普通のごみを焼き尽くす。もし、火がなくうじがいなければ、この地球はごみの山となり、人間が住めなくなる。

あなたがキリストを拒むなら、あなたは神の目に汚れた者となる。神はあなたを天国に招き入れてあなたが汚れた罪を吐き続け、天国を汚すのを赦されない。神は悔い改めの日が過ぎたので、あなたが吐き続ける汚れた罪を滅ぼし去るために火とうじの地獄へあなたを投げ込まれる。もし今あなたが自分は神の目に汚れた罪人であり、清められるためにキリストの血が必要だということを悟らなかったら、神があなたの罪を取り除くために火とうじをもってあなたの罪を消し去られるその瞬間、あなたは必ず悟らせられる。あなたの体中には胸がむかつくようなうじがよじ登り、あなたは永遠に燃え続ける火の中にいる。その時になって初めて悟るようであってはならない。今悟りを得よ。今ひざまずいて罪を悔い改め、キリストをあなたの救い主として受け入れると告げよ。それから、あなたの周りの人々がキリストを受け入れ救われ、悟りを得ることができるように全力を尽くしてすべきことをせよ。

神は今あなたを悟らせようとしていろいろな方法を通してあなたにその豊かな憐れみを示していてくださる。神はあなたに吸う空気や食べ物を与え、あなたの健康と生活を守ってくださる。神は恵みに満ちた世界を造り、あなたをそこに住まわせていてくださる。神の福音はあなたの回りにいる、すでに悟りを得た人々によってあなたに宣べ伝えられている。この印刷されたメッセージも悟りを得よとあなたに勧めている。私はあなたが救われるように祈っている。私はあなたを愛し、あなたの魂のことを気遣っている。私はあなたが永遠に地獄で滅ぶことを望まない。今あなたに差し伸べられている神の憐れみによって悟りを得よ。キリストを信じなかったら、希望を助けもなく、永遠に滅びてしまうという現実に目覚めて欲しい。救いの日の今、悟りを得てキリストを受け入れよ。

私は自分が住んでいる小さな町の狭い通りに立ち、心を絞り出しては人々に悟りを得るように語りかけている。彼らは私を家の中に入れて話をさせてくれない。だから私は外に立って彼らに向かって説き続けるだけだ。時には土埃の上や路傍にひざまずいて私の説教を聞いた人々が救われるようにと大きな声で祈る。それでも彼らは悟りを拒む。私は時々、どなたかが亡くなり、外に葬儀の花輪が飾られた家の前を通ることがある。家の中には遺体が安置されている。私は頭を垂れて「神はまた一人の人を死をもって悟らせられた。」と嘆き悲しむ。どんなことがあれ、死んで地獄に行くことのないように今悟りを得よ。

さあ、いっしょに旅に出かけようではないか。100万年向こうの未来へ旅立ち、地獄の穴へ下っていってみよう。すべてが全く絶望に包まれたこの滅びの地の真ん中に行ってみよう。私たちがこの呪われた地に足を踏み入れるや否や硫黄と煙との臭いが回りに立ち込めて、耐えられないほどになる。絶望して泣き叫ぶ声が私たちの耳をつんざく。あたり一面真っ暗で、何も見えない。しかし、今仮に、神が私たちにわずかな光を与え、この地の光景を見ることができるようにしてくださったとしよう。老若男女、人種を問わず、あらゆる人々が獄の鎖につながれ、苦しみにあえいでいる。彼らには一つの共通したことがある。それは地上の生涯で、キリストを必要としていたということを悟らなかったことだ。ここには人間のみならず、ルシファー(堕落した天使で後に悪魔となる)と彼にしたがって堕落した使いたちが永遠の滅亡の中に投げ込まれることになっている。もし私たちがルシファーのために特別に用意されている穴に下っていったら、彼に「ルシファー、お前は全能の神に逆らい、自分を神と等しいものとしようとしたことが間違っていたことを悟ったか。」と聞くことができるだろう。

それに対しているシファーは即座に「そんなことをしたのは間違いだったと悟らせられている。」と言わざるをえないだろう。彼に従った多数の使いたちも即座に自分達の間違いを悟らせられていることを認めざるをえないであろう。

私たちはこの火の池の中を更に奥へと旅を続け、神に最も激しく反抗し、その反抗のゆえに最もきびしい罰と苦しみを受けた人々のために取っておかれた所へと進んで行く。「パロ王よ。神に従い、仕えるべきだったことを思い知らされたか。神の選ばれた民を奴隷とせず、彼らを解放するのを拒むべきではなかったことを思い知らされたか。

パロ王は口から炎の息を吐きながら、「あの二つの水の壁が私の戦車(いくさぐるま)の上を逆巻き、私の肺を満たしたときから、悟らせられています。」と言う。

私たちはさらに旅を続け、「ヒトラー」という男が入れられて
  いる地下牢にやって来た。彼に対する罰はあまりにも過酷で
  断末魔の苦しみのゆえに耐え難いほどの激しい声で泣き叫ぶ。
  それは彼が存命中多くの人々を苦しめたからだ。彼は夜、自
  宅で、自分の残酷なナチ政権によって拷問を受けた人々の泣
  き叫ぶ声の録音を聞いて、喜び楽しむのを常としていた。だ
  から、神は今彼に報いておられるのだ。「ヒトラーよ。お前が
  行ったすべての残忍な行為に報われる神が天におられること
  を思い知らされたか。お前は神の民のほかに何百万という 
  人々を殺そうと企てたことが悪いことだということを思い
  知らされたか。」

彼の上に降り注ぐ、火と硫黄によって引き起こされた恐ろしい大嵐のゆえに苦しみ泣き叫ぶ声がする中で、彼はむせび泣きながら言う。「ああ、私が間違っていた、正しい神がおられるということがわかった。」

私たちはさらに奥へと進んだ。同じ独房にスターリンという名の男がいた。彼がここで100万年もがき苦しみ続けているにもかかわらず、その苦悶がほんの始まりだということを知って、彼は自分の存在ほど、みじめで嘆かわしく、絶望的なものはないということを知らされるだろう。「スターリンよ。お前は神はいないと公然と宣言した。今となってお前は神がおられることと、神を信じ、神がご自分の創造された人類のために定められた生き方を選んだ何千万もの人々を殺したことが間違っていたということを思い知らされたか。お前は今神の実在性と罪深い人間に対する神の怒りを思い知らされたか。

彼は泣き叫び、歯ぎしりしながら、今となっても悔い改めずに神を呪いながら、「ああ、永遠に思い知らされることでしょう。」と答える。

私たちが別の悲惨な破滅の所に足を踏み入れてみると、そこは同性愛者の独房だった。「お前はお前の生き方が堕落していて、天の全能の神にとって忌むべき者であったことを今や思い知らされたか。

燃え盛る炎に巻き込まれ、うじが体全体をうようよしながら、彼の汚れた体と魂と霊の汚れを食い続ける最中、外の暗闇の中から、「今となっては悟らせられているが、悟るのが遅すぎた。」

次に私たちがたどり着いたのは、最も不道徳で、そのことを大いに誇っている者の独房だった。彼は、そのために永遠の罰を受けつつも、そのような欲望を満足させることは決してできないにもかかわらず、今だに同じ欲望にふけっている。「お前は神が、姦淫を犯す者は誰も天国に入ることはできないという真理を言われた時、悟ったか。」

彼は真っ赤な炭火の燃え盛る中、一秒たりとも休むことなく、激しく泣き叫びながら「そのようなことを聞くとは無分別だ。ああ、今思い知らされました。」と言う。

私たちが次に行ったのは絶えず泣き叫びながら、「ああ、もう一杯だけでいいから飲みたいものだ。」と言っている者の独房だった。彼は地上で酒の奴隷となっていた。彼は今でもかわりばえのしない酒の奴隷だが、永遠にわたって慰めのため酒瓶を手にすることは二度とない。彼は100万年も禁酒の状態にあるのだが、心の中では今までと変わらないほど酒を求めてやまない。彼は神にたったの一杯でいいから、と祈り心にも似た気持ちで懇願する。しかし、その願望は永遠に聞かれない。「お前はあの最初の一杯をすすったことがいけなかったということを思い知ったか。人を酔わせる酒に関して取る賢い決断は、決してそれに手を触れないことだということを思い知らされたか。酒はまやかしもので、それに惑わされる者は知恵がない、ということを思い知らされたか。

彼は今となっては自分がとても欲しがっている酒の代わりに、神の怒りという酒を飲み、腫れた舌を噛んでは大きな痛みを覚えながら、泣き叫ぶ。「ああ、あなたは悟らせられたこの者をご覧になっています。」

あなたは酒を飲むのがやめられないと思ってはいないだろうか。あなたの地上の生活が終わった瞬間、あなたはそれをやめる。しかし、あなたはそれを求めるのをやめない。再び満足させられることのない欲望を持ちながら、地獄で燃え続けるとは何と恐ろしいことだろうか。

彼の独房のそばには、酒を売って生計を立てている滅ぶべき一人の男がいる。彼に与えられた罰で最も耐えられないものの一つは絶えず付きまとう悪い思い出だ。彼は自分が売った酒や他の人の口に入った酒が原因となってもたらされた、空腹児や交通事故の悲劇、争い、憎しみ、不道徳、その他の罪などを何とかして忘れようとする。しかし、神はそれらの光景を永遠までも絶えず鮮やかに彼の心に映し出される。彼はまた酒を人々に売ったことで、地獄にいる大勢の人々の叫び声にひどく苦しめられる。「だんな、神は他の人に酒を注がせるすべての者に災難を宣告されたことを思い知らされたか。悪の権化である酒を取引することは悪そのものであり、罪深い行為だということを思い知らされたか。」

彼は歯ぎしりしながら答える。「私ほど苦痛をもって思い知らされる者は他にいない。」

さらに進んでいくと、道徳的に高潔な一人のすてきな女の人の独房に来た。「あなたは良い人でも救い主キリストを必要とすることを思い知らされたか。私たちの義は神の目には汚い雑巾のようだということを思い知らされたか。

彼女は100万年も前に、プライドと落ち着きを全て失い、絶望的になってむせび泣きながら言う。「人生が終わったとたん、私は確かに思い知らされました。」

さて、私たちは次に生存中、交通事故にあって十代で命を失った若者の独房に来た。「若者よ。小さな子でもキリストを必要とすることを思い知らされたか。キリストを信じ、救われることを一日でも延ばすことは愚かなことだということを思い知らされたか。十代の若者でもキリストなしではこの恐ろしい所に送られるということを思い知らされたか。

彼を苦しめる煙が立ち込める中で、彼は答える。「ああ、私は思い知らされた。そして永遠に思い知らされるのだ。」

希望のない人のまばらな廊下を下っていくと、また別の所に出た。ここでの罰はもっとひどい。ここの火は前の所よりも熱く、うじはもっと不潔だ。ここには世界の宗教が集まっている。一人の仏教の僧侶が永遠の火の燃えるこの場所に送られてきている。「あなたは宣教師があなたにキリストを受け入れるよう嘆願したとき、彼が真理を述べていたということを思い知らされたか。なぜなら、キリストは天に至る唯一の道であり、キリストなしには誰も永遠の国に入ることができないのだから。」

地上で彼に取りついていた悪霊がいつわりの宗教を教えていた彼の愚かさを嘲笑する中で、彼は必死になって叫ぶ。「この火の池に投げ込まれて以来、私はすっかり思い知らされている。」

そのすぐそばにマホメットの教えを広めた者が監禁されている。「お前はマホメットに従う者は誰でも神の子だという教えは間違っているということを思い知らされたか。なぜなら、キリストがアブラハムの子孫であるように、マホメットもそうなのだから。」

彼は大声で泣き叫ぶ。「キリストを受け入れることによってのみ新しく生まれ、神の家族の中に入れるのだということを確かに思い知らされている。キリストが再び来られて、偽りの宗教をことごとく滅ぼしてしまわれるまで、私は神に死人の中から誰かを遣わし、友人や信奉者に回教という偽りの宗教に惑わされて、この耐え難い苦しみの場所に送られて来ることがないようにと絶えず嘆願し続けている。しかし、神は私の祈りに答えられなかった。この火の池に投げ込まれてから祈ってもすでに遅い。」と後悔しつつ、すすり泣く。

その所をもっと奥に進んでいくと、さらにひどい目に会っている人たちがいた。私たちがたどり着いたのは地獄の中でももっとも罰の重い所だ。そこにいるのは自分たちの宗教を広めるためにキリストの名前を利用した偽りの宗教家だ。私たちは一人のカトリックの神父に「自分を霊の父と人々に呼ばせたのは間違いだったということを思い知らされたか。罪の告白はキリストにすべきで、あなたにすべきではなかったということを思い知らされたか。処女マリヤが礼拝されたり、神の母と呼ばれたりするべきではなかったということを思い知らされたか。」

彼は死を待ちこがれるが死ぬのを許されず、「ここに思い知らされた者がいる。」と言って、泣き叫ぶ。

私たちはさらに下って、エホバの証人という宗教を熱心に広めた人のために用意された拷問の場所に行く。彼は昼も夜も家々を歩き回っては火の池に行くことがないようにと説いて回るが、今や自分がその永遠の破滅の中にいるのだ。私たちは彼に尋ねる。「聖書に書いてあるとおり地獄と言うところがあって、キリストなしの人が体も霊も魂もそこに投げ込まれ、永遠に苦しみ続けることを思い知らされたか。キリストこそエホバだということを思い知らされたか。キリストが神だということを思い知らされたか。キリストと父なる神が一つだということを思い知らされたか。」

「ああ、今となって、私は思い知らされた。私が本当に間違っていたということを思い知らされた。」

私たちはモルモン教の宣教師の所に行く。「あなたは聖書だけが神の唯一の霊感のことばだということを思い知らされたか。アダムも私たちも神ではないということを思い知らされたか。あなたの宗教には救いがないということを思い知らされたか。」

彼は言う、「ああ、欺かれた者も欺いた者もともに全能の神の裁きを受けるということを思い知らされた。」

この地域では彼らの破滅的状況は以前にもましてひどい。キリストは救われるべき唯一のお名前、ご自分の名前が他の名前に代えられるのを許されない。ご自分の名前が人々を欺くために使われるなら、キリストはそれに対して怒りを燃やされる。キリストのお名前を使う偽りの宗派は円形劇場に似た所で罰を受けるよう定められ、欺いた者一人一人は自分が欺いた人々によって取り囲まれる。彼はキリストの名前によって教えたが、罪を悔い改め救われるためにはキリストに頼らなければならないという真理の道を教えず、人々を欺いた。欺いた者の回りで欺かれた者の悲鳴と泣き声が響くごとに、炎がぱっと高く燃え上がり、いよいよ熱さが増す。同様にこれらのにせ教師に対する拷問が激しさを増していく。想像もできないほどの苦しみと良心の咎めと悔恨の念と苦悶と熱と拷問は終わることはない。

まだキリストを救い主として受け入れていない友よ。さあ、私の手につかまってついておいで。私たちの旅が終わる前に、さらに深い所へ行ってみよう。

たとえあなたが「いやです。」と言っても、私は言う。「さあ、行くのです。」あなたは生涯を通して、故意にキリストを拒み、勝手気ままに自分の行くべき道を選び、強情にも神から離れようとした。あなたは今となっては、「いやだ。」と言うことはできない。今あなたはあなたが決めた通りに永遠に生き続けなければならない。だから、いっしょにこの最後の訪問をしよう。私たちはずっとはるか下の地にまでくだり、今まで一度も太陽の光が差し込むことなく、希望の少しもないところに来た。暗い独房に近づくと、そこには火の鎖に縛られた者がいる。この生き物ほど見ていて胸がむかつくような生き物はどこにもいない。これほど哀れな生き物を想像することはできない。およそ100万年も拷問を受けてきたので、彼の顔も体全体も恐ろしいほど歪んでしまった。どんな準備をしてもこの生き物を見てショックを受けずにはおられない。あなたの生存中、そのような恐ろしい光景を目の当たりにするなどとは夢にも思わなかったことだろう。

彼を見ると、あなたは彼が明るい朝の太陽を一度も見たことがないに違いないと思うだろう。鳥の歌う声も聞いたことがなく、一度もほほ笑んだり、笑ったりしたことがないに違いないと思うだろう。喜びというものを少しも経験したことがないと思うだろう。一度も心地よく感じたり、くつろぎ休んだり、遊んだり、リクレーションを楽しんだりしたことがないに違いないと思うだろう。一度も健康に良い食事をしたことがなく、一滴の水をも飲んだことがないと思わざるをえないだろう。一度も教育を受けたことがなく、“成功を遂げる”ような職業を求めたこともないだろうと思うだろう。楽しみも家を持っているという誇りも高価な車もすてきな服もお金で買える他のたくさんのことも知らないだろう。彼は以前そのような物をいくらか持っていたが、彼の魂が失われて、すべての物を失ってしまった。今彼を見ると、彼はためになることは何も成し遂げていないということに気づくだろう。彼には友達が一人もなく、友情も愛も平安も満足も知らなかった。家族もいなかった。100万年もの孤独な苦しみを続けてきた彼の恐ろしく、身の毛もよだつような光景を目の当たりにせざるを得なくなって、あなたは彼が一度も“お父さん とか“お母さん、“お兄さん、“お姉さん、“妻よ、“息子よ、“娘よなどと一度も呼んだことがないだろうと思うだろう。彼は本当の楽しみ、本当の希望を知らなかったと思うだろう。彼は今苦しんでいるこの恐ろしい破滅の世界以外は何も知らないようだ。

この悲惨な生き物を見ざるを得ない状況に遭遇し、私たちの心は憐れみと悲しみでいっぱいになる。私たちは彼がそんな感情の高まりを覚えるだろうとは想像もつかなかった。彼はあまりにも激しく泣き叫びわめいたので、声はがらがらに涸れ、きしむようになり、もはや人間の声のようではない。地獄の熱のため、彼の舌は口を閉じることができないほどに膨れ上がり、その話し方も叫び声も哀れで、人間のものとは思われなかった.

唇も舌も喉も炎によってからからに乾き、硫黄でさえしばしば彼の口に流れ込む。百万年も水一滴くださるように神に嘆願し続けたその願いも全くむなしい。唇は乾いて腫れ、ひび割れした切り口に炎が入り込むごとに鋭い身を切るような痛みが走った。絶えず歯ぎしりしているために、神経組織があらわになり、熱と痛みに対して無防備になるほど、歯がやられている。彼の目は頭部にあって、二個の燃える火のボールのようだ。ずきずき痛み、乾き切った付け根の所でごろごろ回り、赤く充血して物もかすかにしか見えなくなった。皮膚は体中焼けただれ、末梢神経が炎やどろどろ溶けた硫黄にさらされている。人体が焼かれるとき、たいていの場合、火は神経をすばやく焼き切り、痛みに対して感覚がなくなってしまう。しかし、神は地獄では奇妙な奇跡を行われ、痛みが永遠に続くのである。そこにいる人々は誰でもいっそのこと、火で焼かれて死んでしまいたいと願うが、神はそれを許されない。痛みは、それ以上激しさを増すことはないというほど極度に激しく、永遠に続く。汚いうじが私たちが見つめているこの生き物の体中を山だかりとなって右往左往している。

この人には誇りや落ち着きや自尊心はひとかけらも見られない。彼の苦痛に満ちた、恐ろしい、絶望的な状態があまりにも嫌悪感を催すような光景なので、あなたは彼のいるその場から一刻も早く逃れたいと願う。しかし、その歪んだ顔、拷問で痛み苦しんだ姿を見ると、どこか見覚えのあることを思い出す。そのとおり。確かにその人を見かけたことがある。あなたがなおも自ら強いて見続けていると、その正体が明らかになってくる。その人はあなたなのだ! この気味の悪い現実に目覚めて、あなたはあたかも全世界がひっくり返ってしまったように動転する。あなたの全生涯を通じてそのような恐ろしい巡り合わせに遭遇しようなどとは、夢にも思ってみなかった。しかし、この火の池の中にいる人物は確かにあなたであり、あなたは100万年もの長い間、拷問の責め苦に遭い、しかもそれはたった今始まったばかりなのだ。それは決して終わることを知らない。神があなたを大きな白い御座の前で裁かれるとき、あなたは神の偉大な栄光と力の麗しさを見た。この苦痛の場所に永遠に留まるようにとの判決を受けた今となっては、キリストを拒み、天の永遠の素晴らしさと決して終わることのない地獄の責め苦を取り換えてしまった自分の浅はかさのなんと大きかったことか、悔やんでも悔やみきれないことを知るのだ。

そこに立って、私はこの苦しんでいる生き物に問う。「今となってお前はキリストが必要だということを悟らせられたか。100万年前にこの小冊子を読んで、あなたがした最も愚かな決断はキリストをあなたの救い主として受け入れるのを拒んだことだったということを悟り、思い知らされたか。

「ああ、私は今悟らせられ、この悔いた思いは永遠に続く!」

友よ。あなたは何としてもこのような運命に遭わないようにして欲しい。

こんなになってから悟らせられることのないように私はあなたに嘆願する。キリストはまもなく再び来られる。キリストは悟らせる方として来られる。一人残らず、悟らせられるのだ。私はすでに悟らせられている。私は神に対して罪を犯した。神はキリストを信じなかった罪のゆえに私が地獄で罰せられるということを私に悟らせてくださった。しかし、神はまたキリストを信じた私がキリストと天国で永遠の祝福をともにするとも悟らせてくださった。私は悟らせられたとき、すぐひざまずいて私を赦し、救ってくださるよう神に祈り求めた。キリストはその時、私の救い主となってくださった。あなたがキリストを心に迎え入れさえするなら、キリストはあなたの救い主ともなってくださる。

 私はまだ悟らせられていないあなたのことも他の人のことも気遣っている。私は故国を離れ、故国とは反対側の世界に住みながら、日本の皆さんがキリストを必要としていることを皆さんに悟っていただきたいと奉仕に励んでいる。あなたが救われるために、もし必要なら、私は自分のいのちをあなたに奉げてもいい。私はあなたにも天国に行ってもらいたいと願う。もしあなたが少しでも悟らせられているなら、神に祈るよう願う。「神のことはあまり知らない。全然分からない。用意ができているかどうか分からない。」と言わないで欲しい。そのような思いは捨てよ。もし、あなたがいくらかでも悟らせられているなら、今神に祈るよう勧める。神にこう告げるのだ。

「神様、私はあなたに対して罪を犯したこと、キリストを救い主として信じる必要があることを悟らせられています。天の全能の神様に対して罪を犯したことをお赦しください。どうぞ、私の罪を清め、神様が望んでおられるように私を造り変えてください。私はイエス様を私の主、私の救い主として受け入れます。私はイエス様のものです。私を悪魔とその力から解放してください。私は神様に従います。私はすべての悪の力に立ち向かいます。イエス様は私の主です。キリストは勝利です。私の人生の中で悪魔は打ち負かされました。主イエス様、私の救い主となってくださったことを感謝いたします。主イエス様、私はあなたを愛しています。アーメン。」

もし、あなたが真実を込めてこの祈りをささげたのなら、キリストはあなたの救い主となってくださる。キリストは決してあなたを捨てず、あなたを離れない。この地上の生涯が終わって後も、あなたは天国でキリストとともに永遠に生きることになる。私はそこであなたに会えるのを楽しみにしている。あなたが先ほどの祈りを祈ったなら、あなたの知っている一番いいクリスチャンの所に行って、あなたがキリストをあなたの主として、また救い主として受け入れる祈りをしたことを告げてほしい。それから、聖書を読み始めてください。もし、聖書を持っていなかったり、買うことができなかったりしたら、私たちに手紙をよこしてください。無料で一冊お送りします。聖書を読みながら、読んでいるところを聖霊が教えてくださるよう、また、神の教えを守ることができるように求めながら、神に祈ってください。

聖書は世の救い主イエス・キリスト、神の御子について次のように言っています。「この方以外には、誰によっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」(使徒4:12)

次に、あなたを招いておられるキリストの御声に注意深く耳を傾けてください。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイ11:28-30)

聖書はキリストを救い主として受け入れる者すべてについて次のように言っています。

「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」(ヨハネ1:12)

「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。誰も誇ることのないためです。」(エペソ2:8,9)

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、すべてが新しくなりました。」(Uコリント5:17)

ルイス・シェーファーはイエス・キリストの救いについてこのように言っている。

「救いとは人間に対する神のわざである。神に対する人間のわざではない。

救いとは神からの贈り物であり、永遠のいのちを与えられることである。それは道徳的な生活の美しさとか、人工的な模造品ではない。

救いとは神による義である。不完全な人間の義ではない。

救いとは神の和解である。人間の規定ではない。

救いとはすべての罪の帳消しを意味する。それはある罪の中断を意味するのではない。

救いとは律法からの解放であり、律法に対して死ぬことです。それは律法を喜ぶことでもなく、律法を行うことでもない。

救いとは神による新生であって、人間による改革ではない。

救いとは神に受け入れられるものであり、ましな人間になることではない。

救いとはキリストにある完全さを意味し、性格の適性を意味するのではない。

救いとはあらゆる霊的祝福を有するものであり、特別な改善を公言することではない。

救いはいつも神だけに由来する。決して人間に由来するのではない。それはキリストの測りがたい富である。それは私たちが良い行いに歩むように、神があらかじめ備えてくださったものである。」

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*ご希望の方には、賛美歌カセット、教会学校教材を無料でお送りいたします(送料、当方負担)。当方は訪問したり、寄付を求めたりするものではありません。