被造物対創造者

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     増加対減少(第一章)

 

初めに、神は天と地を創造された。

全能の神の不思議な創造は、何と偉大で広大なことでしょうか! それは、全宇宙とその中のすべての生き物から成っています。「すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずに造られたものは何一つなかった。」(ヨハネによる福音書第1章3節) 神は創造されたものはすべて、完全に造られました。 そして、神がこの惑星である地球上にご自身の創造を完成なさった時 神はお造りになったすべてのものを御覧になられた。視よ、それは非常に良かった。 こうして夕があり、朝があった。第六日。」(創世記第1章31節)神の被造物が、自分たちの創造者なる神に反逆し、反抗することによって、神の完全な創造にもたらされた多大な破壊を見るのは、何と悲しいことでしょうか。自分たちの創造者なる神に反逆する被造物は、自分自身の上に破壊をもたらすためにそれを行ないます。従って、私たち人間はそれぞれ全能の神に反逆することを絶対に止めるべきです。あなたは、神に反逆したところをすべて、お示し頂けるように、神に心を完全に開いて、神に対するあなたの反逆をすべて止める時に、あなたは神の助けを熱心に求め続ける必要があります。 あなたの創造者なる神に従順に生きることは、あなたの受けることのできるまさに最良の人生です。それは、あなたのなすべき最も賢明な事なのです。

  [ 親愛なる読者へ、 この緑色の印刷に来るたびごとに、強力な祈りがあります。 ですからどうぞ、あなたの創造者なる全能の神に心を開いてください。あらゆる熱心さと誠実によって、神にこれらの祈りを声に出して祈ってください。もしそうするならば、神はあなたの人生において奇跡を行ってくださいます。]

 

「全能の神さま、私は、今、私の創造者であるあなたに心を全く開くことを選びますので、どうぞ、私があなたに反逆するところのすべてを私に示してください。またどうぞ、反逆が何と恐ろしい罪であるかを私に示してください。そして、それを止める願いと意志を私に与えてください。主なる神よ、私のこの祈りを聞いて答えてくださいましたことを、あなたに感謝します。アーメン。」

 

私の助け主である神によって、この本の中で、私は、被造物が自分の創造者に対して反逆するという最も重要な点を記述したいと思います。それではまず、決して亡くならない神の永遠の真理である聖書に記録されているその反逆の始めを見ていきましょう。

 

「覆う油注がれたケルビム」

たぶん、ルシファーであるケルビムは、神が創造された最も偉大で、最も強力で、最も壮大な被造物だったでしょう。         

「人間の息子よツロの王に対して嘆きの歌を述べ、この王に言え。 主なる神はこう言われる。あなたは知恵に満ち、美の極みである完全の印であった。あなたは神の園、エデンにいた。あらゆる宝石があなたを覆っていた。ルビー、黄玉、紫水晶/かんらん石、縞めのう、碧玉/サファイア、ざくろ石、エメラルド。あなたが創造された日にあなたの手鼓と笛の製作品はあなたのために備えられた。あなたは、覆う油注がれたケルビムである。わたしはあなたをその地位に置いた。あなたは神の聖山にいた。あなたは火の石の真ん中を上下に歩いた。あなたが創造された日から、あなたの中に邪(よこしま)が見つけられるまで、あなたは、あなたの道では完全であった。(エゼキエル書第28章12〜15節)

これは、ルシファーの息子たちの一人、ツロの王に向かって、ルシファーについて語っています。ルシファーの多大な美と能力について、また本来の領域で持っていた高い地位について洞察することは、単なる人間にすぎない私たちには難しいことです。上記の聖書は、ルシファーが美のために多くの宝石と金によって覆われていた、と語っています。私より良く聖書を知る人たちの中に、ルシファーは、空を飛ぶ、角を持ったヘビであった、と言う人たちがいます。今では、私たちはヘビを見ると自然に恐怖が起こりますが、それは、しばしば、蛇は醜いものだと見ているからです。しかし、ヘビの優美で、流れる、流動体のような動作は、他のどのような被造物によって比べられないものです。そして、彼の本来の領域では、あの角を持ったヘビ、ルシファーの美は、他の造られたあらゆる生き物の美をはるかに越えていました。

この「手鼓」と「笛」は、たぶん、ここに生きる人間が神の喜びのため、また恐らく、天国にいる他の被造物の喜びのために意図された最も美しく鳴り響く音楽を作るため、まさに神によって造られた音楽を作るための用具を引き合いに出しているのでしょう。こうして、あらゆる被造物の中の最も偉大な音楽家として創造され、現在の堕落した状態でも、あの悪魔のやつは今なお偉大な音楽家であるのです。また、この地球という惑星上で現在も鳴り響いている「音楽」の多くは、悪魔から来ていて、それは、その栄光を創造主から奪い取って、栄光を悪魔に与えているのです。 また、悪魔の音楽の多くは「クリスチャン」音楽に変装します。クリスチャンたちによって、教会の中でさえ、演奏され、歌われているのです。 これは悪魔に大きく栄光を与えるものです。 もしどんな音楽が創造主の敵から来るかを見分けることもできないほど良く神を知らないならば、あなたは恥を知らなければなりません。

「全能の神さま、どの音楽があなたからのもので、どの音楽があなたの敵、悪魔からのものかを見分けることができる程、良くあなたを知りますように、どうぞ私を助けてください。 このことを私に教えてください。私は祈ります。 私は、また、この知識と識別力によって満たしてくださいますように、すべて他の人たちのためにも祈ります。悪魔の音楽がどれほど破壊するものかを私達に教えてください。またどうぞ、悪魔の音楽を避けるように私たちすべてを助けてください。アーメン。」

  完全な状態で、ルシファーは、どうも天国で、火の石の真ん中を上下に歩いたようです。(14節)そのような訳で、今日の悪魔崇拝者の中には、悪魔によって危害から守られて真っ赤に焼けた石炭の上を歩くような、ちょうど同様の事をする者たちがいます。

「覆う油注がれたケルビム」14節)ルシファーが神の王座を「覆って」護衛したことを。私は信じます。「何からルシファーは護衛したのですか。」と、お尋ねになるかもしれません。神の創造の際、何かがあって、その時、何から神はご自身の王座を護衛する必要があったかどうか、私は知りません。あるいは神が、ルシファーに、単に儀式の護衛として、ご自身の王座を「覆わせ」、護衛させたのかも知れません。同様に、一流に見えるようにと、地上の王たちと政府指導者たちが儀式の護衛を持つことはよくあります。

あなたは知恵に満ち、美の極みである完全の印であった。」(12節)あらゆる点で、ルシファーは他のどの被造物よりも偉大だったので、他のどの被造物より、神のすぐ下の高い地位に置かれました。彼は、すべての神の被造物の頂点、被造物の中の知恵と美の極地でした。さらに、ルシファーは、最も偉大な被造物のその地位を永久に、保持できたかもしれません。 彼は、その地位を得るために、少しも働く必要がなかった。 彼は決してそのために一生懸命になる必要もがなかった。それは、創造の行為として、彼の創造者によって、単に彼に授けられただけだったのです。そこで、最も重要な質問は「いったい、どこでおかしくなったのですか。ルシファーは、どのように死刑の執行延期の希望もなしに永遠の苦痛へと運命付けられ、反逆的で、卑劣な、神を憎む悪魔になったのですか。」 

単に、その答えは、「彼は、ただ本来の場所を離れたからです。

 

私は至高者のようになろう。

「どのようにあなたは天から落とされるのか。朝の息子、ルシファーよ!どのように、国々を弱めたあなたが地に切り倒されるのか。それは、あなたは自分の心の中で言ったからだ。私は天に昇ろう。私は自分の王座を神の星々より高く上げよう。私はまた、北の極にある集会の山に座ろう。私は雲の頂よりも高く昇ろう。私は至高者のようになろう。しかし、あなたは地獄に落とされる、穴の奥底に落とされる。」(イザヤ書第141215節)

ルシファーは、(自分の神が創造して、領域を任命された)自分の最初の領域から去ろう、そして、自分の神から任命された場所よりも高く上昇しようと決めました(また、試みました)。 基本的に、それが、ルシファーが自分の創造主について悪を行った最初の事でした。 彼が昇ろうと試みた非常に重要な部分は、彼が神のようになろうと試みたことでした。私は至高者のようになろう。ルシファーは神よりも偉大であろうとした、と不注意に教える人たちがいます。しかし、神の聖なるみことばはそう言っていません。自分は至高者のようになろうと、彼が宣言した、とそれは言っています。創造者によってルシファーに与えられたすべての偉大な知恵と、全能の神との彼の緊密な関係の中で、彼は、これまで全能で、全治、偏在の創造者なる神よりも偉大な被造物などあるはずがない、と明確に知っていました。だから、彼は不可能をしようとしなかったのです。その代わりに、彼は神のようになろうとし始めたのです。

どうぞ、聖書を慎重に、また詳細な点まで読んで、研究してください。それから、それを額面どおりに受け入れて、また聖書は完全に正確であると信じてください。 ルシファーは、天に昇って、神のすべての星よりも上に自分の王座を高く上げ、雲の頂よりも高く昇り始めたのです。しかし、至高者なる神に関して、ルシファーは、自分は神のようになると宣言しました。そうすることによって、彼は自分を創造された神に反逆して本来の場所を離れ、非常に悲惨な裁きと滅亡を刈り取りました。イザヤ第十四章の中で与えられたこの話から、ルシファーは、自分の創造主に反逆した最初の被造物であった、と私は結論しています。そして、彼は、より高いほうへと領域を定められた神から出て上に昇ると決めることによってそうしたのです。 彼は自分の場所に留まっていた方が確かに賢かったでしょうにね。

「はい、先生、彼は確かにそうだったでしょうね。」

それまで最も偉大な創造された存在でいることにただ満たされて満足していられないというのは、確かに愚かでしたね。

「はい、先生、それは確かです。」

どうぞ、ルシファーについて私が言ったことを本気で考えて、あなたは、彼が行なったことを私がその通りに正確に入手したと、考えるかどうかも良く考えてください。我らの創造者なる神に対してどんな被造物でも、この最初の反逆が持つ厳密な性質について、私たちが正確な聖書知識を持つことは非常に重要です。

「主なる神さま、どうぞ、私にあなたの知恵を与えて、創造主であるあなたに対するルシファーの反逆について私が知るべきことをすべて私に教えてください。領域を定められた自分の神から出て上昇すると決めて、至高者なる神のようになろうとしたことが、まさにどんなにか間違いで反逆的であったかを私に教えてください。あなたの被造物があなたに反抗する時、基本的に巻き込まれるのは正確に何であるのかを完全に理解するように私を助けてください。アーメン。」

 

「あなたがたは神々のようになるでしょう」

 ルシファーが神の敵、悪魔になった後に、彼が最初に来て、人類にも自分の創造主に従わないように誘惑した時、彼がその時何と言ったかを見ましょう。さて、主なる神が造られた野のどの獣の中でも、へびが最も狡猾であった。そしてへびは女に言った、はい、園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか。女はへびに言った、わたしたちは園のすべての木の実を食べて良いのです。でも、ただ園の中央にある木の実については、あなたたちが死なないように、これを取って食べてはいけない、これに触れてもいけない。と神は言われました。そこでへびは女に言った、あなたがたは絶対死なないでしょう。それは、あなたがたがそこから〔取って〕食べる日に、その時あなたがたの目が開かれて、あなたがたは、神々のように、善悪を知る者となることを、神は知っておられるからです。」(創世記第3章1〜5節)

この狡猾な蛇は「はい。」で話を始めます。蛇は、騙す時には、積極的で楽観的な接近を見せます。これはまた、彼の息子たち、娘たちの話し方の特徴でもあります。彼は、これらの滑らかな言葉で女の心を柔らかくした後、彼は、それから、もしあなたがたがその禁じられた実を食べるならあなたがたは絶対死なないでしょう、」と、女に「約束する」事によって、彼女に偽りを言うのです。そして、他の事の間に蛇は女に言います。あなたがたは、神々のように、善悪を知る者となる。」

ルシファーは、上昇して神のようになろうと試みることによって、神に背きました。今度は、ルシファーは、女とアダムが、彼らの創造主である神に背くことによって、神々のようになれるよ、と彼女に言うことによって、女を誘惑します。時々、悪魔は偽ります。時々、悪魔は(必要からかそうする理由が彼に得な時)真実を話します。また、時々、彼の話しは偽りと真実の混ざったものです。あなたは、これらの三つのうちどちらを、悪魔があなたがたは、神々のように、善悪を知る者となる。」言った場合だと思いますか?サタンはエバに偽りを言っていましたか?その質問への返答を見つけるのに最も良い場所は、神のみことばの中にあります。

 「見よ。人はわれわれの一人のように、善悪を知る者となった。」(創世記第322節)主なる神は、堕落した状態にいる人間が、今や、聖なる三位一体の一人のようになったと、はっきり確認します。神はまた、どのようにしてあの堕落した人間が神のように善悪を知る者」なったか、を正確に語っておられます。それ故、私は、蛇がエバに、もし彼女とアダムが、善悪の知識の木から食べることによって神に背くだけならば、彼らは神々のようになる、と話した時、蛇は真実を話したのだと、信じます。それで今や、彼らの堕落した状態にあって、人間は、完全な状態では行なう能力を持っていなかった何かをする能力を持っています。すなわち、最初の領域を定められた自分たちの神から出て上昇して、神のように偉大になる。 人類はこの能力を持って創造されていなかったのです むしろ、人間は、自分の創造主に背くことによって、また自分の創造主に反逆することによって、その能力を獲得したのですどうぞ、あなたの〔知性の〕心の中にその重要な事実を蓄えてください。 それをそこにしまって置いてください。そしてこの地球上で、あなたが自分の人生を送りながら、いつもこの真実に気づいてください。 

 

「善悪の知識の木」 

私達は、この木が何であるかを正確に知る必要があります。なぜなら、それは、人間が自分の創造主に背くことを選ぶ最初で最も基本的な選択を提供するからです。私は、「教育」のほとんどは、特に「高等教育」は、神が、アダムとイブが共に受けることを禁じた善悪の知識であると、信じています。私は、基本的な3つの(読み)、(書き)、(算数)が善悪の知識の一部であるとは信じません。 神は、私たちにご自身の書かれたことばを与えられたので、私は、神のみ言葉を良く読むために、私たちが十分に読み書きができれば、それが良いと、私は信じています。神は、ご自身の聖書のことばを書くために人を用いられました。従って、私たちは書くことができることは適切だと、私は思います。また簡単な数学は、私たちのために神が定められた生き方に役立ち、多少必要で、それはまた、聖書の中で使われています。それゆえに、私たちが、読み、書き、基本的な数学を学ぶことは、神の目に間違いであると、私は信じません。私はまた、私たちが人間の歴史、特に、聖書の中に神によって記録された歴史を勉強し、知ることは重要であると、信じています。

私は、アダムとエバ以来のすべての人間が、自分の前に善悪の知識の木を持っていること、また、その実を共に受けるか受けないかの選択を持っていることを信じます。私はまた、古今を通じて、私たちの創造主の命令は常に有効で、その木の実から食べることを私たちに禁じていると信じます。また、私は、誰かがその木の実から食べる度に、アダムとエバにとって、それから食べることが罪に満ちたことであったように、自分たちの創造主に対する罪に満ちた反逆であると信じます。

なぜ私は、高等教育のほとんどが、神が私たちに食べるのを禁じておられる善悪の知識であると、信じるのかという三つ基本的な理由があります。私が挙げるこれらの理由について、どうか、真剣に考えてください。

1「善悪の知識」は、非常に適切な教育の定義です。教育を得る時に、人は良い物と悪い物を学びます。一言で言えば、それ程簡単です。

2高等教育は、人間を上昇させ、神のようにならせます。神が創造して、エデンの園を耕して、守るためにその園に置かれた人間は、以来非常に高く上昇してしまいました。人間は、今や宇宙空間へ遠くに行くことさえできます。現在、人間が毎年または毎月、科学と工学、医学、などの分野で遂げる急速な進歩は、信じられないほど愕然とさせるものです。人間が到達したこれらの信じられないほど高い学習高原のため、人間は、神のようになって本当に上昇しました。悪魔は、エバに、あなたがたは、神々のようになる」と話しました。その時、神は、人はわれわれの一人のようになった。」確認しました。そまた上昇し、多くの信じられない、神のような離れ業を遂行することができる人間への基本の鍵は、多分できる限り多くの善悪の知識をむさぼることです。上昇し、神のようになるために、人間が最初に優先とすることは、獲得できるすべての教育のために猛烈に攻めかかることです。

古今を通じて、教育と知識について言われたことと、今、言われようとすることに用心を怠らないために、目と耳を開いてください。「知識、文明を進めるもの」「知識、文明の創造と進歩」それは、知識が人に、創造された領域と、さらに高いものへの進歩の中から上昇することを可能にすることを意味します。「教育は、実そのものではなく、知識の木から実を集めるための梯子に過ぎません。」この引用文は、公然と教育を知識の木と繋いでいます。用心を怠らないでください。たぶん教育と知識についてのそのような事を聞かれるでしょうし、読まれることでしょう。(私は上記の引用文の出所は所持していません。)

生涯学習

年頭教書(1998127日、だと思います。)の中で、クリントン大統領は、情報化時代が教育時代であり、教育は、誕生で始まり、生涯続くことであると言いました。その声明は、人の全生涯のため善悪の知識を貪欲に食い尽くすことに最大限の重要性を置くものです。 最初私達が、教育は全生涯継続する必要があるだと多く耳にしはじめたのは1970年代であったと思います。そして、人が上昇することにより熱心になると、それだけ、善悪の知識を誕生から死まで、絶え間なく、食い尽くすことに多くの強調を置くようになります。そして、人が上に昇ることにより熱心になると、それだけ、善悪の知識を誕生から死まで、絶え間なく、食い尽くすことに多くの強調を置くようになります。上昇して、できる限り偉大になろうと、狂気じみたように、また破壊的に探し求めて、人類は、創造主が自分たちにまさに最初にされたご命令に可能な限り不従順であろうと殊更に集中しようとするのです。「しかし善悪の知識の木については、あなたはそれから食べてはならない。」(創世記第217節)

人間は自分が上昇することに心を注ぐ時、普通取る最初の歩みは、自分が上昇することができるために、できる限り最高の教育を得ようと努力することです。少しの例外はあります。しばしば、上昇して、スポーツの「神」になるためには、何の教育も必要ありません。多くの場合、そのために必要なすべてはただ身体的能力です。音楽的な才能や統率力などの、他の生まれながら賦与された才能は、ほとんどまたは教育なしで人を上昇させます。「帝国を相続すること」によって、上昇した地位を無償で与えられる人々がいます。けれども、私たちが上昇するほとんどの分野では、教育が必要です。多大な努力と、両親があなたの小さいときからあなたの教育に注いだ多くの時間とお金について考えてください。成長すると自分でその努力を出すようになりました。それから、あなたは、自分の子供たちが可能な最良の教育を獲得するのを見ようと多大な努力を出しました。教育に費やした多大なライフエネルギーは、十分な食物および衣類、住まいを持つことの目標に向かう訳ではありませんでした。むしろ、それは、できるだけ偉大になるために上昇する目標に向かうものでした。また人間は、何とかしてできるあらゆる教育を受けることによって、典型的にその上昇を始めます。「しかし善悪の知識の木については、あなたはそれから食べてはならない。」

 

「あなたは必ず死ぬ」

3 「それは、あなたがそれから食べる日に、あなたは必ず死ぬからである。」(創世記第217節)これは、この禁じられた善悪の知識が高等教育である、と私が信じる三番目の理由です。人はより多くの教育を受けた人になって、「文明を促進」(偽り)すればするほど、それだけ多くの破壊と死を、この惑星に起こします。あなたはすぐに自分でそれを見ることができます。善悪の知識を使う時の、最初で、最重要な優先事項は、戦争の武器を製作するために、それを使うことです。初めから現在までの歴史を通して、どのように戦争機械がますます破壊的になったかはあなたがよく知っておられます。そして、その傾向は時の終わりまで続きます。「あなたは必ず死ぬ。」

私たちは、人が善悪の知識を勤勉に勉強することによって作る事を学んだ、明らかにされない程多くの有毒な物質で、土地と水、空気を汚染しています。 「あなたは必ず死ぬ。」 私たちは、神が私たちの食物を生産するために創造された地球をコンクリートとアスファルトで、覆うことを学んでいます。「あなたは必ず死ぬ。」私たちは、あちらこちらに走り回る社会(世界)を築くことを学びます(ダニエル書第124節)。この狂乱は、結果として、陸上と水上、空中の、多くの交通事故と輸送事故から多くの死と負傷、破壊を生じさせます。「あなたは必ず死ぬ。」高等教育を獲得し、用いる事を強調することは、生活の常に増加する速い速度、文字どおりには、人々の正気を破壊し、早い死を引き起こします。「あなたは必ず死ぬ。」 

私は上記のようなもっと多くの例によって本を満たすことができましたが、しかし、それによってあなたを退屈にさせる必要はありません。なぜなら、あなたの周りにそのような例でいっぱいの世界を容易に見ることができるからです。あなたが、交通事故と輸送事故、工場における爆発、有毒ガス漏れ、人々の上に崩壊する大きな人工建築物などのような、どんなに大きく、人工の、致死的な問題でも、見たり、聞いたりする時はいつでも、「死」生じさせた原因をもたらしたそれらの機械と大建築物、物質を造る方法を学ぶために、人は、どれ程の善悪の知識が必要であったかを、とにかく考えてください。1800年かまたは1900年か1950年に起こったあの問題の不可能さについて考えてください。人間は高く上昇すればする程、どれだけ多くの潜在的な死と破壊を自分自身にもたらすかを考えてください。「回転木馬を止めてください!私は降りたいのです!」と人類が言うことは賢明なことでしょう。しかし、私たちは、上昇することの罪を非常に愛しているので、それはしません。狂ったように自分たちの全体の破壊へと上昇し続けていくのです。「あなたは必ず死ぬ。」 

上昇することを望み、堕落した人類は、「進歩」「前進」などと呼んで、人類とその文明を改良する事が必要だと宣言することによって、この上昇することの罪に満ちた反逆に最良の表題を付けています。私たちはできる限り、「神のように」なるために上昇する事を熱烈に愛するので、それについてはとても好意的に話します。それを「進歩」と呼ぶことは偽りです。クリスチャンたちでさえも、それは自分への神の祝福であると宣言しているのです。私は、それは偽りだと信じます。実際には、それは、自分の創造主である神を見捨てて、逃亡し、自分自身の破滅へとできる限り速くまっすぐに向かった被造物の行為です。人類の大多数は、自分たちへの創造主のまさに最初の命令に背くことに、何という熱烈で強い愛を、持っていることでしょうか。「しかし善悪の知識の木については、あなたはそれから食べてはならない。それは、あなたがそれから食べる日に、あなたは必ず死ぬからである。」(創世記第217節)もし人類が、創造者の出された、あの最初で唯一の命令に常に従ったならば、神が聖書の中で私たちに与えられた多くの追加の命令は全く必要なかったでしょう。また、私達はいつも絶対の完璧さの中に住んでいたかもしれません。あの最初で最も重要な命令、それは、あなたがそれから食べる日に、あなたは必ず死ぬからである。」に、従うことを完全に願う心を私たち各自が、どんなに必要としていることでしょうか。

善悪の知識を高等教育と関係づけるこれらの三つの考えは、単に私の不完全な心(マインド)の産出物です。しかし、私は、私がそれらについてキリストの心(マインド)を持っていると信じます。ですから、それらについてどうぞ真剣に考えて、その正確さを検討してください。私は、高等教育は、神がご自身の創造された人間が加わることを禁じた、全く同じ善悪の知識である、と堅く信じます。私は、この地球上の初めからずっと現在まで、アダムとエバが罪に落ちる以前にエデンの園に存在していたと同じく、人々は善悪の知識の木から食べることを、未だに、常に、禁じられ続けてきたのです。私は、人類が道を間違えることの多くは、人々が善悪の知識のから食べることから起こる、と信じます。そこで、私は、神が人類にお与えになった、まさに最初の命令に関する神の知恵を真剣に求めて、この命令が現在あなたにどのように関係するかを正確に知ることを求めるように、あなたにお願いします。 

「天のお父さま、あなたが人類に与えられたこの最初のご命令の完全な意味を、どうぞ、私に教えてください。あなたはアダムとエバにだけにその命令をお与えになられたのですか。或いはそれはまた、現在、私にも当てはまりますか?もし現在、あなたが、善悪の知識から食べないようにと、私に命じておられるのでしたら、それでは、私は全く疑わないでそれを知るためにどうぞ私に教えてください。また、どうぞ、善悪の知識が何であるかを私に正確に示してください。リチャード兄が、そうであると信じるように、それは高等教育ですか?どうぞ、私にこれらのことをはっきりと示して、それについて、あなたに全く従う心を私に与えてください。アーメン。」

それは、あなたは心の中で、私は昇ろう。と言ったからだ。

創造主に反逆した被造物の、まさに最初の一歩は、地位(領域)を定められた神よりも高く上昇し、聖(きよ)さ、純粋さなどではなく、能力、権力、栄光などをまとった神のようになろうと努力する思想であり、企てられた行為なのです。「一方、自分の領域を守らないで、その住まいを捨て去った天使たちを、主は、大いなる日の裁きのために、暗闇の下にある永遠の鎖で縛り、閉じ込めておかれた。」(ユダの手紙第6節)ルシファーが、まさしく正確に何をしたかについて、またそれから、エバが何をしたかについて、どうぞ、熱心に考えてください。彼らは、神のようになることを望んでそれから、神のようになることを計画しましたそれらの事実上の出来事は、創造主である神への被造物の反逆についての基礎的な真実です。もしあなたが、そもそも、自分の創造主を喜ばそうとするどんな願望でも持っているならば、その非常に明白な知識と完全な理解は恐ろしい程必須なものです。

「天のお父さま、あなたの被造物の心で、あなたに対する反逆が始まったのは、いったいどこかを、完全に理解しますように、私を、どうぞ助けてください。また私自身の心を知って、理解し、あなたと争っているすべてを知るように、どうぞ私を助けてください。私はこれらの事を他の人たちすべてのためにも祈ります。アーメン。」

「私は減少しなければなりません。(ヨハネによる福音書第3章30節)ほとんど2000年前、バプテスマのヨハネは、減少することは自分にとって絶対必要なことだと、宣言しました。どのように、減少しようとする願望が、大部分の人々の心から最も遠く離れた事であるのかを深く考えてください。その代わりに、私たちは皆、できる限り偉大になるために上昇の目標を持って、生き、呼吸する傾向があります。私たちは、その目標に向かって多分できる限りのエネルギーと努力のすべてを費やします。人類の真先の目標(まさしくその心拍)は、私たちができる限り偉大になるために、「増加し」上昇することです。神が定められた領域から上昇することは、神に対するすべての反逆への基本的な土台なのです。

ですから、あなたの創造主に対し戦うことについて、あなたが熱心にご自分の聖書を研究し、読む時、どうぞ、それに良く気づいて、またそれについて考えてください。

上昇しようとする欲求と、上昇する決断は、ルシファーと天使たちによる、また最初の二人の人間による反逆の最初の一歩でした。上昇しようとする欲求と上昇しようと努力することが、この惑星上、また宇宙の至る所の、広大な罪に満ちた悲惨さの根本的原因です。

今や30年以上もの間、私は、断食し、祈り、涙を流しながら、この地上の苦しみと悪を超えて、神が与えられた重荷と失意を抱きながら、私は、私の創造主から神の完璧な創造の中で悪となったすべての最も基本的、根本的原因は何かという知識を捜し求めてきました。

そして、神は、私に、それはこの、被造物がもっと高く上昇する目的のために、自分の創造主が定められた領域を去ることを決めたことであると教えてくださいました。そこで、もしあなたが斧を最も大きな問題、存在する最も大きな間違いの根本に置きたいとするならば、そのときには、あなたの創造主を喜ばすよりもっと高く上昇したい願望を支配して勝利を与えてください、と神に頼みなさい。

「天のお父さま、私は、今あなたにその勝利を求めてお願いします。あなたを喜ばさない、私の心の中に存在する、上昇する欲求のすべてを、どうぞ、私に示してください。それらがあなたに対する罪に満ちた反逆であることを、どうぞ、私に気づかせてください。あなたの無限の力によって、どうぞ、私に、それらを支配して完全な勝利を与えてください。他の人々もすべて、上昇することの罪から救われたいと願いますようにと、私は祈ります。アーメン。」

 

すぐに、人類のできる限りの偉大な被造物になる猛烈な努力を観察することができます。あなたは、自分の自己について、それがどれほど真実であるかを知っています。あなたがお付き合いしている人々の大部分に、それを容易く見ることができます。また、今日、世界的なメディアによって、この惑星に起こっていることの鳥瞰図(ちょうかんず)を持っているのです。ほとんどすべての仕事と遊びで、人々は、自分が選ぶどんな努力してでも一番偉大になろうと、限界まで自分自身を近付けます。 人々は、自分の人生を評価する以上に、偉大になろうと上昇することを評価するのです。 従って、スポーツと向こう見ずな勝負(特に、善悪の知識から産出された強力で、高速機械に熱中にさせるもの)などの分野では、全世界が、球技、自動車レースなどの練習とトレーニングで起こる多く、負傷や死の破壊や大虐殺によって乱雑に散らかっています。自分自身を、ある知的な分野(教育、芸術、娯楽、ビジネス、政治など)に昇り詰めようと努める、最も成功した人間は、酩酊状態、薬物中毒、精神異常、病気に関連したストレス、早死に、自殺、殺人、などによって悩まされています。「あなたは必ず死ぬ。」(創世記第217節)

 

あなたはすぐに、人類ができる限り偉大な被造物になるための猛烈な努力を観察することができます。あなたは、自分自身の自己で、それがどれほど真実であるかを知っています。また、現代の、世界的なメディアによって、この惑星中で起こっていることの鳥瞰図(ちょうかんず)を持っているのです。ほとんどすべての仕事と遊びで、人々は、自分が選ぶどのような努力においてでも最も偉大になろうと、自分自身を限界に押しやります。 人々は、自分自身の人生を評価するよりも、偉大になるために上に昇ることを評価するのです。 従って、スポーツと向こう見ずな勝負(特に、それらが、善悪の知識から産出された強力で、速い機械に掛かり合って、)などの分野では、全世界が、球技、カーレースなどのために練習とトレーニングしている多く、負傷と死の破壊と大虐殺によって乱雑に散らかされています。自分自身を、ある知的な分野(教育、芸術、娯楽、ビジネス、政治など)に昇ろうと努める、最も成功した被造物は、酩酊状態、薬物中毒、精神異常、病気に関連したストレス、早死に、自殺、殺人、とそのようなものにより悩まされています。「あなたは必ず死ぬ。」(創世記第217節)

人々はまさにその高等教育の探求の最中に自殺します。私は1900年頃に遡った中国の大学入学試験について読みました。試験場には、数百人の青年たちが集まりました。 試験を受けるために、学生はそれぞれ、電話ボックスぐらいの大きさの個別室に入り、約3日後、試験時間が終わるまで、その中にいなければならなかったのです。上昇する彼らの夢は、その3日の試験に、どれだけよくできたかに懸かっていたのでした。彼らへの圧力は、あまりに大きかったので、試験時間の3日間が終わる時には、小部屋の中で死ぬ青年たちが、いつも、二、三人いました。「あなたは必ず死ぬ。」

ほんの先日(20036月)でしたが、私は、現在インドで、どのように、善悪の知識のための気が狂ったような探求が、そこの大勢の学生を殺しているかを話しているラジオ解説者の言うことを聴きました。全国的な試験の彼らの高学年は非常に重要なので、もし彼らが立派にやらないならば多くの学生たちは自殺します。「結果が発表される前日、ニューデリーの一人の女の子は、自分は間違いなく落ちたというメモを残して、自分のスカーフで首をつりました。ケララの南部では、最も高い読み書き能力率と最も高い自殺率の両方を持ち、10学年の結果が発表された日に、9人の学生が自殺したのです。 実は、「ザ・ウィーク」マガジンによる研究によると、「インドでは、毎年、約4,000人の学生が自殺しています。」それは、彼らの創造主のよって深く愛された、恐ろしく多くの若い尊い魂です。創造主は、善悪の知識のための気が狂った探求の中で、彼らの一人でも滅びることを望んでおられないのです。

私が日本に住んで30年になりますが、親たちと教師が、教育に秀でるようにと彼らに置く圧力から発狂する、「神経衰弱」という日本人の十代について、定期的に耳にします。どうにかして、できる善悪の知識をむさぼるように彼らに置かれた、そのような過度な圧力が原因で、自殺をする十代の日本人がいます。なぜなら、上昇せよと彼らは圧力をかけられたからであり、最上であれと圧力をかけられたからであり、罪だらけの高慢な両親と教師たちによって一番であれと圧力をかけられたからです。「あなたは必ず死ぬ。」以下は「讀賣」新聞から記事です。

『埼玉―15歳と14歳の、二人に中学生の女子は、埼玉県久喜市のダイエースーパーマーケット駐車場の6階から飛び降りた模様で、月曜日死亡したと、警察は言いました警察によれば、この二人の女子生徒は、建物の西側の駐車場で、午前5時50分頃、会社へ出勤途中の30歳の男性によって、血だらけまま倒れた状態で発見されました。報道によれば、男性は、何かぶつかる音を聞いたので振り返ったところ、女子たちを見た。二人は最寄りの病院に連れて行かれたが、後に二人はその病院で死亡した。二人は久喜市の公立中学校で級友だった。』

『警察は、女子生徒たちのものと思われる教科書の入ったリュックサック2つと、駐車場の建物の屋上でビニール袋を見つけた。』

  「女子生徒たちは、『私たちの学校生活−平成13年11月112日』(2001年11月11日)という題名で、バッグに見つけられたB5サイズのノートに家族と学校の心配事について何十ページも書いていました。二人は、次のような事を書きました。『とても疲れたのでて生きられない。』、『すでに死ぬと決めていたので、今まで一度もした事がないことを何かやってみたい。』、『自由に生きたい。』、と、警察が言いました。」

『警察は、女子生徒たちが建物から跳び降りて自殺するつもりであったと、見ています。』

『とても疲れたのでて生きられない。』『自由に生きたい。』それらの書いた後、2人の女の子たちは、6階下の固い舗道上の自分たちの死へと跳び降りました。 それらの死は、両親と、先生、社会の力が、自分たちの小さな者たちをできるだけ高く上に昇らせるために、彼らに善悪の知識を食べさせた結果です。「あなたは必ず死ぬ。」

また、あの2人の尊い、若い14歳と15歳の日本人の女の子たちに酷い圧力を与えたこの人々はすべて、裁きにおいて、殺人者として自分たちの創造主の御前に立ちます!そして、もしあなたが、最後の声明が真実であると信じようとしないならば、あなたは裁きにおいて、あなたの創造主の御前に立つ時に、それが真実であることを、確実に気づかされるのです。

 私は、できる限り多く、一所懸命に勉強しなさいと、母親が多大な圧力をかけたために、自分の父親と母親、祖母を殺したという、日本の高校男子生徒のニュースレポートを一つ読みました。母親が眠った後、彼は野球バットで母親の頭を一撃しました。それによって、彼の父親が起きた時、父親は息子に向かって、「おまえは気違いだ!」と、激発しました。それで、彼は同様な方法で、自分の父親を殺しました。それから、その大騒ぎを聞いて二階にいた祖母が目を覚まして、いったい何事かと見るために階段をつまずきながら来た時、この少年は祖母を殺しました。後に、彼は、自分が祖母を殺したのは、祖母があの恐ろしい外傷のめちゃくちゃな状態の中に留まったならば、気の毒だと感じたからだと、言いました。そこで、彼女を哀れんで、彼は彼女の悲惨さの中から彼女を追い出しました。彼の父親は正しく、「おまえは気違いだ!」と、叫んで、この少年を非難しました。この少年を気違いに追いやったものは、何とかしてできる善悪の知識のすべてをむさぼる彼にその両親の過度の圧力でであったのです。彼は、その事が理由で、彼があの殺人騒ぎを始めて、自分の家族の三人を殺したと、後に、はっきりと当局に話しました。

真夜中にあのような恐ろしい行為を犯した後、彼は、死でいっぱいのあの家に留まっている事に耐える事ができませんでした。そこで、彼はただ、近くの小さな駐車場に出かけて、朝が来るまで、そこに一人で座りました。彼ができる善悪の知識を食べるようにと非常に大きく圧力をかけられてきた故のそのような悲惨な流血の場にある彼の若い人生。朝が来て、二、三人の彼の級友(少年たち)は学校へ行く途中で彼に会ったので、学校に来るようにと、彼を訪問しました。彼は、自分が両親と祖母を殺したので、行けないと、答えました。彼らは、彼が、そのような冗談を言ったので、心から、笑いました。彼は、彼らに、冗談は言っていないよ、本当だと言って、彼らに、自分たちで見に行くようにと、言いました。そこで、彼らは彼の家に行って、中を見たら、その死の現場を見て非常に衝撃を受けたのです。それで、学校に走って行って、彼らは教師たちに話しました。教師たちは警察を呼びました。ニュースの記事によると、学校の教師たちと親たちは、そのようなことを防止するために如何したら良いかを決めるために、すぐ会合を催したのです。 

 さて、そのような死を防止するために、何を彼らができるのを、私はこの人たちに正確に話すことができます。すなわち、自分の創造主の命令に従いなさい。「しかし善悪の知識の木については、あなたはそれから食べてはならない。」2001年頃に遡りますが、私は、日本では全国的に、20代初めの約20万人の若者が、自分たちの人生で全く何もしていない、という新しいニュースレポートを、ここ日本で、聞きました。その理由は、親たちが彼らを「完全に」操作している限り、その親たちによって、彼らは勉強に、スポーツなどに卓越するために激しく強要されてきた、というものでした。それから、その若者たちが成人期に達し、「上昇すること」への奴隷のその鉄こぶしの下から出た時には、彼らの多くは、死にもの狂いの競争に全く疲れ切ってしまったので、ただ「引きこもって」、数年間は何もしなかったのです。人類の黄色人種は、その存在に染み込んだ善悪の知識を求めて狂気じみた無謀な探求を持っているようです。彼らは、その中で一番ひどく、黒人人種は一番軽くて祝福され、白人人種はその中間でした。

米国などのような、他国の指導者たちは、「人々を上昇させて」卓越な者にする事によって得るその結果の故に、「優秀な」日本教育システムを模倣する必要について定期的に話しています。人々を限界にまで、また限界を超えてまで、相当数の精神異常、自殺、殺人へと強要して、それらの結果を出しているのですから用心してください。

ですから、「上昇した」達成者を称賛して上方を見つめる時、ぜひとも、知識への狂気じみた無謀な探求をして自分の理性を失った人、自殺をした人、あるいは、知識をむさぼって上昇するためにひどく強要されたので殺人に訴えた人たち、このような犠牲者たちを見ても必ず下方を見てください。非常に疲れていたので、あの若い年で生きる事ができなかった故に、血だらけのままであの歩道に横たわっていた14歳と15歳の女の子たちを下方に見てください。どうやら家に住んでいたらしい家族の三人を殺した故に、そのような絶望的な混乱、あの若い人生、午前2時から午前8時かその頃まで、あの公園でたった一人で腰をかけていたあの高校男子生徒について下方を見てください。私たちが必要とすることは、自分たちの創造主に従うように、その市民に求める頭脳に十分な分別を備えた幾人かの政府指導者です。「しかし善悪の知識の木については、あなたはそれから食べてはならない。」

 上昇することに集中した国家は、一定の量の教育を急いで強制します。 彼らは、善悪の知識から食べないことを選ぶ自由をその市民から強奪して、それから食べるのを止めることを犯罪にするのです。私は、彼らがそのようなことをするとは全く場違いであること、また、神はそれを不快に思っておられると、信じています。クリスチャン国家では、特色として、義務教育を成し遂げた、優れたクリスチャン指導者がいました。私は、彼らが、まず、第一に、あらゆるすべての人に、神の聖書を読めるようになってほしいという良い動機からそうしたと、信じます。彼らは、高度に教育のある人たちが、そのような多数の本と雑誌、新聞、カタログ、コミック、すべての種類の文書を生産するだろうという事、それから、最早、聖書を読む時間を見つけ出さないだろうという事を、見るための先見の明を持ってはいなかったのです。その事は大変悲劇です。私たちは、自分の生涯を捧げます。すなわち、「自己」を偽の、偶像の神として拝む罪によって、私たちの自己を殺します。すべての礼拝は犠牲を必要とします。そして、大勢の人々が、「上昇」の圧倒的に強力で破壊的な力によって、また、このような、殺人の神である「自己」の偽の、偶像の神によって、自分たちのいのちを全滅してもらうために、この偽の神の祭壇に自分自身を横たえることを観察することは、どれほど恐ろしいことでしょうか。多くの人々は、若者たちが自殺をする知識を獲得するために、自分の子供たちをそのように激しく強要するのを見ることは何という悲劇でしょうか。あの大勢が自分たちの創造主を見捨てて、代わりに、そのような偽の神の殺人者と取り替えたのを見るのはどれほど悲惨なことでしょうか。「あなたは必ず死ぬ。」「自己」を拝むこと、すなわち、創造主の代わりに被造物を拝むことの偶像礼拝が、まさにどれほど恐ろしく破壊的なものかを見るために、神が私たちの目をすべて開いてくださいますように。「(そして)創造者よりも被造物を拝んでこれに仕えた。

 

 「天のお父さま、どうぞ、私の目を開いてください。上昇して、偉大になろうと努力している人々から生じる破壊をすべて見分けるための、明白な、霊の洞察力を私にお与えください。殺人者が「自己」のこの偶像の神である事のどれ程恐ろしいかをよく知るように私を助けてください。この偽の神を拝む罪からどうぞ、私を救ってください。私の創造主を真実に拝むこと、あなたお一人だけを拝むように私を助けてください。私はこれらの事を他の人たちすべてのためにも祈ります。アーメン。」

 

ああ、この偽りの神によって破壊された人生がどのように、「自己」を拝み、「上昇/増加」を拝む人々によって、それほど大いに賞賛されて美化されるのか。2003年2月初旬に、ブッシュ大統領が、スペースシャトル・コロンビアに搭乗し、破壊された魂たち(乗組員ら)のための記念儀式で話した時、大統領は、こう言いました。「この方々は、知識のための人間の探求における英雄たちです。彼らはその危険を知った上で、その挑戦を受け入れました。」

どれほどはっきりと、誇らしげに彼が、神に対する人間の反逆を述べたかをただ、見てください。神はご命令なさいました。「しかし善悪の知識の木については、あなたはそれから食べてはならない。(創世記第217節)しかし、ブッシュ大統領は、私たちの創造主のこの最初の命令に背いた人々を英雄たちと断言しました。「彼らはその危険を知っていました」と、地球上で最も高く上昇した国家の大統領が誇らしげに宣言したのです。確かに彼らは危険を知っていました。なぜなら神はずっと以前に、明白に、それらの危険が何であるかを正確に彼らに話しました。「それは、あなたがそれから食べる日に、あなたは必ず死ぬからである。」あなたもまた、あなたの創造主のその約束を読んで、その真実によく気づいて、創世記第2章17節にある、あの最初の命令に背くことが危険であることを確信したほうがいいです。もし善悪の知識から食べるならば、それはあなたを殺します。 それが、正確に、危険と言うものです。

「その挑戦を受け入れました。」と、大統領は見せ掛けと自慢で歓声をあげました。ちょうどエバが創世記第3章で挑戦を受け入れたように、また、エバ以来すべての人間もその挑戦を受け入れたように、はい。彼らは、その挑戦を受け入れました。「その挑戦を受け入れました。」と、大統領は見せ掛けと自慢で歓声をあげました。ちょうどエバが創世記第3章で挑戦を受け入れたように、また、エバ以来すべての人間もその挑戦を受け入れたように、はい、そうです。彼らは、その挑戦を受け入れました。

 

そして、神が、大統領の地元、テキサス州の多くの、広範囲にわたって、そのコロンビア乗組員の胴体を散乱させた時には、彼らは自分たちの挑戦に敗北しました。彼らの創造主が勝利したのです。そのゆえに神に栄光がありますように! そして、彼らの創造主は、創世記第3章、「それは、あなたがそれから食べる日に、あなたは必ず死ぬからである。の中で、ご自身の約束が最も具体的な方法で、可能であり、ご自身の約束が真実であることを証明されました。

神は、減少して自分の創造主の栄光を現すために生きる代わりに、上昇して偉大になるために生きてきた、あらゆるすべての人間に、これらの言葉が確実であることを証明されました。そして、もしあなたが、できる限り上昇して最も偉大な神になろうという目的で生きているならば、あなたに具体的な現実へと約束をした、あなた自身の偽の「自己」の神によって、まもなく殺されることになります。「それは、あなたがそれから食べる日に、あなたは必ず死ぬからである。」すべての被造物は、反逆することによって自分の創造主に挑戦する時に、敗北するのです。それで、上昇して、できる限り偉大になろうと試みる時に、あなたは、敗者の長いリストに自分の名前をただ追加することが保証されるのです。

1980年1月、スペースシャトル、チャレンジャーが爆発した後で、レーガン大統領は国家に向かって演説し、あれらの破壊された生命によって私たちは、宇宙開発のどれも中断することはありませんと、すべての人たちに明白に言いました。大統領は、私たちの国家は全速力で押し進めると、非常に断固として言いました。私たちの国家は、できる限り上昇して偉大になることに心を注ぎ、また、私たちは、ただ、それによって少数の生命が破壊されたからといって、自分たちの創造主に対する罪だらけの反逆を止める事は考えないと、自分の創造主に言っていたのでした。彼はそれを明らかにしました。すなわち、私たちは国家として、創生記第2章17節にある私たちの創造主の人類への最初の命令に従う意図は全くありません。それが、人類が今日、混乱している主要な理由です。死と破壊は、この不服従ゆえに受けるべき私たちの分け前です。神はそれを約束されました。私たちは決してそれを説き伏せる事ができません。

 クリントン大統領は国家に向かって演説して、教育は誕生で始めて、全生涯続ける必要があると宣言しました。罪に満ちた、反抗的な誇りを持って、彼は、私たちの国家が、どれ程厚かましく、善悪の知識から食べることを禁じた神の最初の命令に背こうとしているのかを、私たちの創造主に言っていました。上昇することに心を注ぐ高慢な被造物は、地位を定められた自分たちの神に留まるつもりはなく、むしろ善悪のすべてに知識が連れて行く限り高く昇るつもりだと、自分たちの創造主に大胆に宣言しています。それらはどれほど哀れですか彼らは破壊にまっすぐに向かうのですから、何と哀しいことでしょうか。「彼らは必ず死ぬ。」神があなたに彼らのようにならないように十分な分別を与えてくださいますように。

 

「天のお父さま、自分を破壊することから私を救ってください。どうぞ、善悪の知識から食べる者に対する、あなたがされた死の約束の面をすべて、私に教えてください。その警告はアダムとエバだけのためにだけあったものですか? 彼らが、霊において死んだ被造物になり、肉体の死が彼らの身体において始まるという意味でしたか?または、その警告は今、私にも適用されますか?私が善悪の知識を追い求めることによって私自身を殺すという意味でしたか?どうぞ、私に、今、この警告がどれほど私にあてはまるかを教えてください。また、それに完全に注意を払うように私を助けてください。どうぞ、この非常に重要なあなたの警告にたいして耳しいになることから私を救ってください。私は、他のすべての人々がこの警告の完全な知識に来て、注意を払いますように祈ります。アーメン。

 

「知識を増すものは悲しみを増す。」

私たちは自分の撒いたものから刈り取ると、創造主が私たちに約束をなさることを避ける事ができるのだと、どれ程考える傾向があるかを見て、いつも私を驚いています。悲しみを増すことは、知識を増す者すべてのための一定の収穫です。そしてたとえ、あなたがあなたの創造主よりも、どれ程偉大であると考えたにせよ、あなたは決して説き伏せることができません。「そして、私は、知恵を知るために、また、狂気と愚行を知るために、私の心を与えた。私は、これもまた、霊をいらだたせることであると気づいた。それは、多くの知恵の中に多くの悲嘆があるからだ。: そして知識を増すものは悲しみを増す。」(伝道の書第11718節)

私の初版本の中で、この聖書に関する私の注釈を読んだ救霊根本主義クリスチャンの私の友人は、私を座らせて、私がこの聖書を解釈した仕方は、全く間違っていると言って、私に説明しました。

彼女は次のように言いました。賢明なソロモン王様は、私たちの罪の心を私たちの知る知識を引き合いに出しています。また、私たちは、自分がどれ程罪深いかを多く知れば知るほど、それだけ、私たちは自分の罪深い状態を知って、悲しみが多く増えるようになります。はっ、はっ、はっ!姉妹、そのようなことは、伝導の書第112~18節のどの箇所にもありません。

誰でも、その箇所から、彼女のようなねじられた意味を取り出すことができる正直な方法は全くありません。そして、私は、彼女が自分自身悲しみでいっぱいになって、彼女の創造主がこのことで、彼女のだます心をまっすぐに下さる裁きの日が来ることを畏れています。

ちょっと2,3段落戻りますが、私はあなたに、いくつかの大変「悲しい」例を挙げました。大学入学試験の圧力の下で落ちて死んだ中国人の若者、教育の圧力から自殺をしたインドの多くの学生たち、知識を増やすことを非常に強要されたので自殺をした日本人の女の子二人、同じ理由で家族の三人全員を殺した日本人の少年。皆さん、これはたくさんの悲しみです。そして、この世界は多くのそのような人生の例でいっぱいです。神が、神が創造された領域から上に「昇る」事を愛する私たちの罪について、真に神を畏れる者の悲しみを私たちの心のすべてにおいて働いてくださいますように。知識をむさぼることの罪を愛することへの多くの悲しみを神が私たちに与えてくださいますように。そして、私たちがこれらの罪を悔い改めて棄てるように神が助けてくださいますように。「知識を増すものは悲しみを増す。」

 

「天のお父さま、どうぞ、知識を増加させる人のように悲しみを増大させる人の真実について私に確信させてください。もし上昇することに、また、より高い教育を求めることに何か間違いがあるならば、どうぞそれを明らかにして、その間違いを避けるように私を助けてください。どうぞ、これらの事に関連するあなたのご意志を行なうように私を助けてください。私はこれらの事を他の人たちすべてのためにも祈ります。アーメン。」

 「あなたは自分自身のために偉大な事を求めますか?それらを求めてはならない。

 1970年代初期に、私は、座って一人の母親が自分の4歳の息子の可能性について話すのを聴いていました。彼女が自分の息子のために上昇する夢を見ていた時、その顔は誇りでどれ程輝いたことでしょうか。彼女は低中流階級アメリカ女性で、トレーラー(移動住宅)に住んでいました。彼らのかせを壊し、ことによると米国の大統領になるかもしれない自分の息子を夢見る事が彼女にとってどれ程ぞくぞくしたことでしょうか。しかし、ほんの数週後に、彼女は涙を浮かべて、どのように、自分の息子の幼稚園I.Q.テストの結果によって、彼が、わずかに知能が遅れている事が明らかになったかを話しました。ああ、何と被造物の心は、上昇する目標に達する時、そのような罪の、わがままな誇りで満ちていることでしょうか。しかし、失敗する時、「上昇/増大」へのこのような罪の努力から来る痛みと苦しみ、惨めさの何と大きなことか。期待が応じられなくて、自分の望んでいた目標へと上昇する事ができないと、被造物は,何と苦々しい失意と、失望、絶望の中の陥ることでしょうか。

それでも、被造物は、単に「自己」と「上昇」の神々を拝むことに非常に専念し、また、全存在を尽くしてそれらの偽の、偶像の神々を追求するので、このようなことはすべて忍耐するのです。それが偶像崇拝の罪です。神が私たちにこの罪を認識して、真に悔い改め、すてる心を与えてくださいますように。神が、私たちに「私は減少しなければなりません。」と心から祈りますように助けてくださいますように。

 

 「天のお父さま、私の心にこの罪がどれだけあるのか、どうぞ、私に教えてください。それを認めるために、識別力を私に与えてください。 私にそれへの神を畏れる者の悲しみを与えてください。自己崇拝の罪を真実に悔い改めた心を、私の中に創造してください。そして、あなたの力によって、この罪を捨てるように私を助けてください。私はこれらの事を他の人たちすべてのためにも祈ります。アーメン。」

最初に、最も速く上昇する国家は、一般に、後進国が上昇するのを助けるときに、多くの努力を発揮します。世界中で、「善人」は、上昇の罪に心を注ぎ、一般に、偽りを言うこと、だますこと、欺くこと、裏切ること、あらゆる規則を破ること、等の追加の罪に負けます。

上昇することに心を集中する「悪」人は、できる限り偉大になる罪に満ちた、利己的な原因のためにすべて、盗む、殺す、戦争をする、虐殺をする、など、制限を全く知りません。(私は、多くの例であなたを退屈させないために、ここでは簡潔にしようとしています。ですから、アダムエバが自分たちの創造者に最初に背いて以来、世界中で続いてきた上記の事柄の範囲について、どうぞ考えてください。何という悲惨と破壊を彼らの罪が神の創造された人類に生じさせてきたことでしょうか。)

人類の側の、この「上昇/増加」は、アダムとエバが罪に落ちて以来、一貫して着実に勢いを得ました。善悪の知識を一貫して食べることによって達成することができる、あらゆる「進歩」人によって大いに助けられています。個々の進歩、個々の新しい発見、個々の新しい発明は、人間により大きなてこ、力、より高く上昇する能力を与えます。ほんの2,3年前ですが、当時は、常に成し遂げる事が、人間には不可能と考えられていた凄い功績は、今では、共通となり、刺激を引き起こすことや、過度の注意を引き付けることを長期間止めていた毎日の風習となっています。そして、今や、人は、罪に満ちた利己的誇りの致命的な投薬によってすべて燃えた顔になり、善悪の知識をたらふく詰め込んで、非常に高く昇ったので、多くの人々は、人ができる事に限界は全くない!と、定期的に公表します。人に不可能なことは何もない! 人は何でもできる!そのように人は宣言します。そのような訳で、人は自分の目で全能者になりました。神の目には、どうでしょうか?「見よ。人はわれわれの一人のように、善悪を知る者となった。」そして、神は、人が神のようになるという大きな成就の結末であるために、何をお定めになられましたか?「あなたは必ず死ぬ。」

 

 「自分たちの肉慾に従い、彼らは自分たちのために教師たちを大量に集める」

 このような上昇する者を、また、すべての教師、指導者、教授、指導教官、コーチ、相談役、カウンセラー、責任者、などを援助し、扇動する人々のためには、何という大きな需要があるかを考えてください。際限なく「上昇する」ように、「増大する」ようにと、多数の人々に、あらゆる可能な方法で、教え、訓練し、援助する目標を持つ、非常に多くの職業が、広大な分野に、あります。「上昇する」際に人々を補助する、教師と、教授、コーチ、その他すべての職業のベストは、下層の人間を「増大する」のを助ける能力のゆえに、偶像化されます。

自分自身を「上昇する」事にけしかける人々は、当然自分自身に信頼を置かなければならないし、自分自身の才能を信じ、確信を持たなければならない。これはもちろん彼らの創造主への信頼を弱めます。それらの多くのさまざまな「教師たち」は、人々を、自分に信頼を持つ被造物にするという主要なゴールを持っています。「自分を信じなさい。」「自分はできると信じなさい!」「自分自身に信頼を持ちなさい。「自分に自信を持ちなさい。」それらの専門家たちが、自分自身を信じるようにと、若い下層の人々の心と知力を訓練するので、碑文風の詩文を膨らますそのようなうぬぼれが、世界中に、繰り返しこだまします。

 

 「この方(キリスト)なしでは、 私は何もすることができない。」「神に信頼を持ちさい。」 そのような聖書の教えは考慮されないのです。彼らの創造主は絵から押し出されます。キリストを信じることは弱くされるか、または完全に破壊されます。創造主は不要とされ、それから、上昇することに専心する被造物によって好まれなくなります。ますます、被造物は自分自身の神になります。創造者よりも被造物を拝んでこれに仕えた。」この自己崇拝は、何という恐ろしい罪でしょうか

 

 「全能の神さま、どうぞ、私に自己崇拝に関する心の真実の状況を、示してください。私の人生においてその範囲と、またどれ程その罪を犯しているかを私に示してください。この罪を認めて、悔い改め、それを棄てるように私を助けてください。どうぞ、私の創造主お一人だけを拝み、仕えますように、私を助けてください。私はこれらの事を他の人たちすべてのためにも祈ります。アーメン。」

 

「私は自分の王座を高く上げよう。」

被造物が、天使かまたは人間が、最初、自分の心の中で上昇しようと決定をする時、彼はそれによって、偶像崇拝である自己崇拝の罪を犯す、と私は信じています。上昇しようとする決定によって、彼は、あるべきであるより自分がましだと思います。彼は、自分の神が身分を定めてくださったより、より高い地位が自分には適切であると思います。そのような考えだけでも創造主に対しての罪の反逆です。そのような考えだけでも創造主の代わりに自己を拝み、被造物の神が身分を定められたよりも何かもっと偉大で、もっと高い物を愛するという偶像崇拝の罪です

私は、次の事がすべての偶像崇拝のまさしくその土台であると信じます。すなわち、被造物が、自分の創造主によって自分のために明示された身分に不満になることです。代わりに、彼は、いっそう良いことを行い、より高く上昇したい。彼は、あるいはできるだけ多く神のようになりたい。私は至高者のようになろう。」あなたがたは、神々のようになり、 私は、罪は偶像崇拝、被造物が自分の創造主を拝む代わりに自分自身を拝む偶像崇拝で始まる事を信じます。私は、ルシファーが、上昇すると決めた時にあの偶像崇拝の罪を犯したことを信じます。私は、エバも神のようになるために禁じられた実を食べると決めた時にあの偶像崇拝の罪を犯したと信じます。創造者よりも被造物を拝んでこれに仕えた。」罪にある被造物は、恐ろしく多くの他の被造物を拝むことで注目されます。しかし、彼らが拝むまさしくその最初の被造物はたいてい自分自身です

 従って、十戒の一番目は次の聖句です。「あなたは、わたしの前に他の神々を持ってはならない。」(出エジプト記第203節)ほとんどすべての人間の心にある最も大きな偶像は自己です。もしあなたがあなたの創造主の前に他の神々を持ちたくない思うならば、それでは、自己の神を取り除くことによって始めてください。

多くのクリスチャンは、自分たちがクリスチャンになる事によって、この第一の戒めに自動的に従うようになると考えています。彼らは、自分たちの創造主であるただひとりの真の神を信じました。彼らはどのような見せかけの宗教か、またはカルトの一員でもありません。彼らは棒切れや石の偶像を作らないし、「物」の像におじぎもしないし、それを拝みもしません。従って、彼らは、それが第一の戒めに完全に従順であると等しいと考えます。しかし、全くしばしば、自己は多くのクリスチャン生活の王座に留まっているので、それによって彼らは偶像崇拝の中に生きています。

 

「天のお父さま、もし自己が私の人生の王座についているならば、どうぞ、それを私に明らかにしてください。そしてその偶像を取り除くように私を助けてください。私の創造主であられるあなたのみ前に他の神々を本当に持たないように私を助けてください。私はこれらの事を他の人たちすべてのためにも祈ります。アーメン。」

 

「あなたは、わたしの前に他の神々を持ってはならない。」

 自己を神として王座につけた後で、次に、被造物は、しばしば、もうひとつ別の被造物、堕落した天使、または罪に落ちた人間を拝みます。どのような人間であれ、「上昇するか増大するか」する時、下層の人間がそのような人間を尊敬し、賞賛し、敬慕し、賞賛し、拝んで偶像化するために、彼か彼女の回りに続く自然の傾向があります。彼らは、また、自分自身、同じ方法で上昇したい欲求に至ります。これが偶像崇拝の罪です。 すべての被造物が自分たちの創られた身分、自分たちの最初の地位に留まっていたならば、罪と偶像崇拝は決して存在しなかったはずです。被造物が、上昇することに自分自身をけしかける時、何という恐ろしい災いが続いて起こることだろうか。今日、世界中の「上昇した」被造物はアイドル(偶像)として大衆によって拝まれています。「アイドル」という言葉は、もう一人の人間引き合いに出す際に娯楽の世界で大胆に、広く使われないだけでなく、それは、また、人間が秀でて、昇ろうと努力する多くの他の地域でも使われています。それ故に、あなたが昇る目標に達成する時には、あなたは「当然」他の人間があなたを拝むという罪を犯す原因になります。人間が減少する願望を全く持たないで、代わりに、「上昇しよう/増加しよう」最大限の努力を出す時、何という広範囲にわたる罪と偶像崇拝が結果として生じることでしょか。「私は減少しなければなりません。

 

 「天のお父さま、 どうぞ、これが現実であることを私に教えてください。 もし私が高く昇った地位を求めて努力し、達するならば、どのように、私が、他の人々が偶像の罪を犯す原因になるかをどうぞ、私に示してください。どうぞ、他の人々にそのような罪を犯させる原因とならないように私を救ってください。 私はこれらの事を他の人たちすべてのためにも祈ります。アーメン。」

 

「私は減少しなければなりません。」たちは、キリスト信者この方向に行くのを願っていると考えたものです。しかし、神を愛すると告白する多くが「上昇する/増加する」ために皆、見ることは悲しいものです。 私のこれまでの生涯に、私は、キリストのからだが「上昇」をますます愛するようになって来ることに気づきました。説教者たちはそれに対して宣告し、警告することを止めて、それを神からの祝福として称賛するように変えています。私のこれまでの生涯に、私は、キリストのからだが「上昇」をますます愛するようになって来ることに気づきました。説教者たちはそれに対して宣告し、警告することを止めて、それを神からの祝福として称賛するように変えています。あなたが「上昇する」ことが両親にどれほど重要であるか、また、子供たちが「上昇する」ことがあなたにどれほど重要であるか思い出してください。あなたは祈りで、ご自分が「上昇する」ように助けて下さるように、すでに十分な食物と衣類、住まいを持っているのに、もっとよい家を、もっとよい自動車を、昇給を、昇進を、もっと高い報酬の職業を、等々、どれだけ多く神に嘆願されたかをよく考えてください。私のこれまでの生涯に、私は、天国と地獄、ホーリネス(聖潔)と罪、悔改め、神に従う生活、そして重要な永遠の事についての火のような説教が終焉したことを教会の中で観察してきました。そして、私は、それが、「上昇」に関連した多くの「クリスチャンの教え」、この人生から最も多くのものを獲得する方法、などに取り替えられるのを見ました。「地位」と「この世界の物」に関連した、この人生で地位が上がる方法について、どれほど多くが説教壇から教えられているかをよく考えてください。ラジオとテレビ伝道師、クリスチャン作家、クリスチャン学校、クリスチャン大学、および総合大学が、上昇を説教し、教えて、高めると知られています。

  クリスチャンたちが祈るために会う時、来る野球のため、学校の良いテストの点数のため、昇給のため、昇進のため、あらゆる競技で優秀であるため、などの祈りのリクエストをただ聞いてください。「上昇する」のを助けてくださいと、神に嘆願するのを聞いてください。ほとんどそのような祈りは、自己を拝む罪の偶像崇拝から起こるもので、神に不快を与えるものです。私たちはむしろ神に私たちが減少するのを助けて下さいと、嘆願するべきなのです。「私は減少しなければならないなりません。」

 

 「主イエスさま、 どうぞ、減少するように私を助けてください。 私の祈りの生活で利己的なところを私に示して、あなたに喜ばれないことを祈ることをやめるように助けてください。私の心のすべての願望があなたに栄光を現すように助けてください。ほかのすべてのクリスチャンのためにもこのことをお祈りいたします。アーメン。」

 

「人はそれぞれ自分自身の肉欲に引かれる時、誘惑に陥るのです。」

ルシファーには、を働くようにと彼を誘惑する誘惑者が全くいませんでした。それは非常に重要な点です。ですから、どうぞ、それについて考えてください。ルシファーは、明らかに、神が創造された最高の被造物でした。彼は、天に自分の王座を持っていました(イザヤ書 第14章13節)。そして、悪を働くようにと彼を誘惑する者が誰もいなかったので、自分の自由意志と意志力から、彼は、なおも、地所と「上昇する」ことを定めれた自分の神から出て行くことを選びました。ルシファーは、まだ完全で罪がない被造物である間、そのような考えと欲望を動作に移す用意をしていました。そして、彼は、どのような外部の誘惑者からの何の助けなしに、自分でそれをすべて行ったのです。それは重大なことです。ですから、それを忘れないでください。

 エバには、自分への神の唯一のご命令に背くようにと、誘惑した誘惑者がいました。しかし、もしアダムとエバを誘惑する者が誰もいなかったならば、遅かれ早かれ、自分で、神のご命令に背くことを選んだでしょうか?分かりません。しかし、可能であっただろうし、ありそうなことだったろうと、私は信じます。ルシファーは、明らかに何の外部の影響もなしに自分で、悪を働くことを選びました。そういうわけで、人間はたぶん同じことをしたかもしれません。疑いなく、悪魔は今、常にすべての人間を、領域を定められた創造主から上昇するようにと誘惑するのに忙しくしています。しかし、その欲望もまた、誘惑者からのいかなる影響なしに、どのような人間の心にも起こるかもしれません。あなたと私は、私たちの創造主に対する義務としてその欲望を消さなければならないし、それに耳をかさないで、代わりに、私たちは減少することを強く願うべきです。「私は減少しなければなりません。」

 私たちは、「悪魔がそれをさせたからです。」という態度で正当化するために自分の義務を避ける傾向が非常にあります。

神がエバになぜ悪を行ったのかと尋ねられた時、エバは、「蛇が私を騙したので、私は食べました。」(創世記第3章13節)と、答えました。誘惑者がエバを誘惑しましたけれども、それでもなお、彼の誘惑に耳を貸さないで、正しく行うという選択ができました。しかし、エバもまた、「上昇」したいという自分自身の心の欲望を考えました。「そして、女が、その木は食べ物に良く、目に快かった、また、人を賢くするために望ましい木を見た時、彼女はそれからその実を取って食べた。」(創世記第3章6節)外部のもとからの誘惑と一緒に、エバも自分の心の欲望に屈服したのです。「上昇」についてのあなた自身の欲望は、敵の誘惑よりずっと重要な要素です。 それは、もしあなたがその勝利を求めるならば、あなたの創造主は敵の誘惑に勝利をあなたに容易にお与えになることができるからです。上昇してできるだけ偉大になることへの消すことのできない渇きは、あなたから来るものほど敵からのは多くはありません。あなたが、自分の自由意志と自由な選択で、あなたの心を上昇に集中することを決定するからです。そして、それから来る結果について責任を負います。 

 

  天のおさま、 もしそれが真実でしたら、どうぞ、私にそれを教えてください 。これが何と重要な問題であるかまた、私の心の欲望を監視する責任がどれほど重いかを、私が理解しますように助けてください。それらが常に私の創造主であるあなたに、正しく喜んでいただけることでありますように。アーメン。」

 

「あなたがたは余りに多くを引き受ける過ぎる」

ルシファーが、上昇することを考えて、それから、上昇する覚悟を決めた時、もし至高者のようにもっと高度の、もっと強力な地位ならば、自分のできる付加の「善」について考えていたので、幾分かはそうしたかもしれません。また、エバも、もっと高度の、もっと強力な神のようになることによって、もっと多くの「善」を成し遂げる可能性をある程度考えることにより、上昇する方を選んでいたかもしれません。

  「私は神のようになる。私ができる善くてすばらしい事をすべて考えてみなさい。」自己本位、ルシファーとエバが神に不従順である決定した唯一の理由でなかったかもしれません。もっと多くの「善」をする欲求が彼らの決定に大きい役割を果たしたかもしれません。

  それは私の憶測であり、聖書では教えられていません。それで、あなたは、私がそれをいう時、ルシファーの罪とエバの罪について安易過ぎると、お考えになるかもしれません。しかし、ここに、私がそれを考える一つの重要な理由があります。上昇のその目標が、「善」であろうと考えるもっと多くてもっと偉大なことを成し遂げることである、「善良な」人々の現代の大衆を、私は見ます。高等教育の目標は、この優れた例です。人類は、多くの善悪の知識を得ることを通して人類が達成できる「善」のためにそのような重要性を置きます。しかし、私たちが築くことを習う強力な戦争兵器からの、致命的な科学物質、放射能と、生産することを学び、善の知識を追求することによって使う多くの他のそのような破壊的な物からの、最も確実な結果は破壊と死です。

そのほかに、高等教育の別の邪悪な面を見てください。 その設備は、私たちの創造主なる神を完全に締め出すに至ります。彼らは、拝まれるべき唯一の神々として、善悪の知識とそれをむさぼる人間を設定します。そして彼らは、私たちの沿うぞ主を否定するに至ります。高等教育はこの地球上の他のどのような努力よりも創造主をその創造から締め出すほうへもっと努力をすると、私は信じます。それについてあなたが同じ事を観察しないかどうか真剣に、また、正直に考えてください。

 この本の私の初版を読むとすぐに、多くのクリスチャンたちは、私が高等教育を悪として攻撃したことにショックを受けて、心配しました。

あるクリスチャンの男性と妻は、善悪の知識の木から食べる事を禁じた神のご命令は、エデンの庭のある木から食べることを禁じて、アダムとエバにだけ与えられたものだと、私に言いました。あるクリスチャンの男性と妻は、善悪の知識の木から食べる事を禁じた神のご命令は、エデンの庭のある木から食べることを禁じて、アダムとエバにだけ与えられたものだと、私に言いました。

  なんと大胆で、生意気な嘘か! 何人かのクリスチャンが、

教育に精力的に賛成して、彼らの国家で義務化にすることを推し進め、クリスチャン大学と総合大学等々を築いた非常に多くの「偉大な」クリスチャンがいることをよく考えるように私に頼みました。そして、この衝撃を受けた私の本の読者は真剣になって尋ねました。「それについては、すべてのこの偉大なクリスチャンたちが間違っている可能性がありますか?」彼らはすべて、それについて間違っているかもしれないと信じたほうがよいでしょう。ルシファーは、あらゆる時代にわたってすべての「信者」の合計よりもはるかに大きく動き始めました。 あなたは知恵に満ち、美に完全な頂点を封印した。あなたが創造された日から、あなたのやり方で完全であった。(エゼキエル書第28章12;15節)それでも、この完全で、最も大きな被造物は、自分自身を「改善」したいという誤りを犯しました」  エバもまた、完全に創造されました。 それでも、彼女は、上昇して、神のようになりたいという悲劇的な誤りを犯しました。その完全なケルビムとその完全な人間は、上昇する誤りを犯しました。それゆえに、私は、この新約聖書時代以降、クリスチャン信仰の最も偉大な巨人たちが、高等教育によって多くの人々を「上昇」させたい欲することによって、容易に誤解され得ると、快く信じます。堕落した人間を完全の台座か、または、ほとんど完全に近い台座に置く誤りをしてはなりません。誰一人として、地上の生涯で完全に近づく事はないからです。 すべての被造物は誤りやすいことを決して忘れないでください。 聖書は完全です。 聖書を絶対の手引きにし、聖書が、「それは、あなたがそれから食べる日に、あなたは必ず死ぬからである。」と、警告する時には、それを完全に信じてください。

1600年代頃からのヨーロッパとアメリカにおけるクリスチャン史を勉強して、高等教育(単科大学と総合大学)に関連した「偉大な」クリスチャンたちによる多くの警告を見てください。

創造主について教えないで、もしそれらの組織が神から離れ、「知識」だけで彼らの知性を教育するならば、また、教育する時、それらの組織で学んだ人たちの魂にもたらされるであろう破滅とそのようなものの彼らの明白な警告を読んでください。(私は多くのそのような警告を読みましたが、どれも保存していません。それで、今、いくつかをここに挿入する必要があります。もし何か良いものを持っておられるならば、できる限り文書で裏付けられた時期と場所、出典を添えて、どうぞお送りください。ありがとうございます。)

もし知恵を望んでいるならば、聖書を調べて、それから、善悪の知識を食ベる代わりに歴史を勉強してください どのようにヨーロッパとアメリカにある非常に多くの大学が、創立された時に、聖書を教えることに突出した位置を与えました。

着実に神を「後回し」にして、キャンパスから神を完全に閉め出したそれらの大学の歴史を研究してください。それから、どのようにそれらは、悪と罪、不道徳、無神論等々の汚水溜めに変わっていったかを研究してください。

1970年に、私は米国の新しく設立された聖書大学を訪問しました。その礼拝堂で私の友人が説教するのを聞くためでした。礼拝の後で、私は、説教者の友人とこの創立約3年の新しい聖書大学の責任者4人と交わりをしました。私は、この男たちが、そこに登録した少数の学生について(約70人だったと思いますが。)、また、もっと多くの学生たちを獲得する管理の努力について話すのを聞いていました。しかし、彼らが、自分たちの教会教団のもっと多くの若者をこの聖書大学に出席させようとしたので、その若者たちは、自分たちは、そこでは提供されていなかった世俗の学科(善悪の知識)を学びたいと、答えました。そこで、人事管理は、追加の学生を登録させるために、聖書の教えよりも、もっと多くを含めたいので、カリキュラムを拡張しようとすることに忙しくしていました。その教団は、説教者、聖書教師などになるための訓練をするために、若いクリスチャンたちに聖書を教える目的で聖書大学を建てる決定をしました。その大学を建てるために必要なお金を払ってくれるその教団教会を十分に獲得するために運動した時、彼らが用いた「ことば」がそれでした。しかし、ほとんど固まらなかったモルタルと、ほとんど乾燥していないペンキによって、それほど聖書を学びたい人がほとんどいな買ったので、彼らは、善悪の知識を教えることを多く追加すると決めました。 その大学で聖書を教えることは、彼らの第一の目標であることをすばやく止めました。 それは、直ちに、多くの学生を獲得する目標に取って替えられました。

そして、彼らを獲得するために、私たちは彼らが欲しいものを与えなくてはならないのです。彼らのクリスチャンの親たちは、1950年代と1960年代には聖書を背景にして、自分たちの子供たちを育てなかったからです。代わりに彼らは、テレビ、また、この世界、上昇することなどで、彼らを育てました。

それで、大学生くらいの年齢になると、子供たちは聖書を欲しがらないのです。彼らは、もっと上昇するために善悪の知識を欲しがります。そのような訳で、その聖書大学はすばやくぁっれらが欲しいものを与えるために変えてしまいます。そうするか、さもなければ、一握りの学生しかいなくなるのです。

 概して、進行は、そのような大学で、学生たちが欲しがるスポーツや楽しみ、社会的生活、罪を与えることを要求する彼らに屈服し続けます。そして、神は間断なく裏門に退かれて、それから、完全に追い出されてしまいます。同様のことは、あなたが直接守ってこられたクリスチャン大学や総合大学で起こるのを見ておられます。また、その組織から宗教的な意味を含むものはすべて取り除くために、その名前を変えてしまう大学を見られたこともあると思います。そして、聖書の教えが提供され続く限り、彼らは、それについてますます静かになり、提供される善悪の知識や「世俗の」ことについてはますます騒がしくなるのです。 悪魔は、神を高等教育の組織から追い出すために一斉に出て行きます。そして彼はそうすることで大成功します。なぜなら、それらの組織を築く人々は自分たちが上昇することと、他の人々を上昇させることの心を持っているので、よくそのようにするからです。また、それらの学校に入学する学生たちの多くは、上昇することに心を集中します。そして、人は自分を神から遠ざけるために非常に高く上昇する必要はありません。本当に、私たちは、もっと多くの「善」をするために「上昇」したい時、あまりに多く引き受け過ぎます。私たちは、減少すること、「私は減少しなければなりません。」によって、ずっと多くの善をします。

 

 天のおさま、どうぞ、「クリスチャン」高等教育の本当の性質に対して、私の目を開いてください。どうぞ、それと結びついた「利己的な動機をすべて見るように私を助けてください。時が過ぎるにつれて、間断なく神から顔をそらす、多くの「クリスチャン」大学と総合大学の歴史的意義を見るように私を助けてください。善を行うために、私たちができるだけ高く上昇したがることが、ちょうどどれほど間違っているかを私に教えてください。他のすべての人たちのためにも祈ります。アーメン。」

 

私は、医学の分野が、もっと多くの善を行うために「上昇」しようと努力する人間のもうひとつの明白な例であると、信じています。私は、病む人々を助けるために大きな献身をして、熱心に、長く働く多くの優れた医療職員に対しては何も持っていません。私が深く賞賛し、尊敬する方々の多くについて非常に多くあります。しかし、医学の職業の主要な目標は、もっと多くの「善」を行うために「進歩」することです。その目標を追求することはそれを神に変えるのです。人々は、最初、神からの癒しを求める代わりに人間の医師からの癒しを最初に求める偶像崇拝へとすばやく変えてしまう時、人間の医師は偉大な医師(私たちの創造主)を取り替えてしまいます。「ところが、彼は、その病気の中にあっても、主に行かないで、医者に行った。」(第II年代記第1612節)この言われた言葉の中に、私は、創造主の側に多くの嫉妬を探知できます。 「それは、主は、その名が嫉妬するという、嫉妬する神だからである。」(出エジプト記第3414節)私は、「医学」が「医学」自身を人間のあらゆる病気の唯一の治療者になりたがっている偶像の神にするだけでなく、まだ生まれない赤ん坊をも(もちろん、母親の「善」と、社会の「善」のために)殺し始めるような、医学の中に大きな罪と悪が広がっているのを見ています。次には、虚弱で、不治の病を持った年配者の殺害が来ます。(もちろん、彼らの家族の「善」と、社会の「善」のために )。これらすべての罪の残虐行為は、彼らがする「善」のために私達に押し付けられるのです。  もちろんです! それは、悪の知識から食べた直接で、明確な結果です。完全なエバは、それから来るであろうすべてのについて考えながら、食べることに賛成していました。多くの偉大なクリスチャン指導者たちは過去何年も彼らがその中に見るのためにそれに賛成していました。これらすべての罪の残虐行為は、彼らがする「善」のために私達に押し付けられるのです。  もちろんです! それは、悪の知識から食べた直接で、明確な結果です。完全なエバは、それから来るであろうすべてのについて考えながら、食べることに賛成していました。多くの偉大なクリスチャン指導者たちは過去何年も彼らがその中に見るのためにそれに賛成していました。

天のお父さま、私は、あなたのこの警告に注意を払いたいのです。どうぞ、この警告に注意を払っていない、私の人生のあらゆる所を私に示してください。そして、これらのすべての所あなたに向かて正しいことを行うように私を助けてください。このことを他の人たちすべてのためにも祈ります。アーメン。」

 

 現在、手術とホルモンで、「人の性を変更すること」のような忌まわしい事をし、他の多くの主要な方法で人体を変更するような医学の職業を見てください。 恐ろしい能力によって、医学は、善悪の多くの知識から利益を得ました。その職員(と法律を製革する政府指導者たち)は、現在、自分自身が、どの神を恐れる人なら作りたくないという決定を混乱させることに直面しているのを見出します。それは人間の生涯に関するそれらの高い決定は創造主にだけに属し、人間には属さないからです。それゆえに、私たちはそれらの決定は創造主にお任せして立派にやります。私たちは上昇することを止めて立派にやります。私たちは知識から食べることを止めて立派にやります。私たちは減少する努力をして立派にやります。「私は減少しなければなりません。」

 

「そして、見よ、それは非常によかった」

 神がご自身の天使たち、ケルビム、セラフィムと、すべての天の軍勢のために創りになられた最初の領域は完全の状態でありました。しかし、ルシファーと天使たちの軍勢は上昇するほうを選んだので、永遠の火と暗闇の鎖が彼らを待っているのです。完全以上にさらに上昇しようと欲を出し、試みるとは、何と愚かな者たちでしょうか。その最初の二人の人々が完全以上に高く上昇したいと思うとは何と愚かで、馬鹿な人たちだったでしょうか。ルシファーとエバは最初の、完全の創られた状態に満足すべきであり、そこに留まっているべきでありました。神が定められた領域から上昇することは破滅のまっすぐ向かうことですから。

バプテスマのヨハネが主イエスキリストを見た時、ヨハネが、「彼は増加しなければならない。しかし、私は減少しなければならない。」(ヨハネの福音書第3章30節)と、宣言することは当然でした。私たちのうちのすべてはそれらのみ言葉により諭しを受けるべきです。創造主を私たちに明らかにする多くの長い時間の聖書研究によって、その聖書のすべての言葉を信じることによって、多くの時間の祈りで我らの創造主との聖なる交わりによって、また創造主の栄光ある創造を観察することによって、あなたと私は我らの創造主の大いなる栄光を見るべきです。私たちが主をよく知る時、私たちは主の中に栄光を表し、主にだけ栄光を表すべきであると知ります。主が私たちの人生の中に増大することを私たちは強く願います。そして、その後、減少することが私たちにとってそうすることが唯一の適切なことであると当然続いてきます。私たちは、聖書は私たちがこの地上の生涯で低くへりくだった被造物であることの重要さについて教えていることすべてを信じるべきです。そして神の助けによって、私たちは減少する努力をすることによってそのようになる努力をするべきです。

 「というのは、あなたがたすべての中で最も小さい者、その者が偉大だからである。」(ルカによる福音書第9章48節)キリストがここで言われたことを信じて、この地上に生きている間、「最も小さい」人になることをあなたの生涯の目標にしてください。もしあなたがそうするなら、その時、永遠に偉大になります。この生涯で減少して、「最も小さい者」になることを求めることによって、この真の偉大さのために努力するように神が私たちを助けてくださいますように。

 

天のお父さま、どうぞ私が減少するように助けてください。地上の生涯で「最も小さい」人になることを求めるようにどうぞ私を助けてください。へりくだって、低くなるように私を助けてください。信者の生涯で、これらのことがどれほど大きくあなたに栄光を表すかをどうぞ私に示してください。そして、あなたの力によって、それらを達成しますように助けてください。これらのことを他のすべての人たちのためにお祈りいたします。アーメン。」

 

(これは被造物対創造者第一章の終わりです。)